道に反れて――これは何うも、変質者と称んだ方が適当かも知れない。恥しい話だ。
 こんな秘かな享楽は、他言はしないことにしよう。

     二

 製作所の屋上に展望室と称する一部屋があつて、これが僕の仕事場である。僕は此処で終日既成品の試験をするために、次々の眼鏡を取りあげて四囲の景色を眺めてゐるわけである。楽器製作所の試音係と同様の立場である。四畳半程の広さをもつた展望室には、僕を長として一人の少年給仕が控へてゐるだけである。
 朝九時――僕は窓を展き、仕事椅子に凭つて、A子の部屋を観る。電車通りを越した向ひ側の高台にあるさゝやかな洋館の二階であるが、一間先きに眼近く観ることが出来るのだ。勿論向うでは、此処に斯んな図々しい展望者が居て、厭な眼を輝かせてゐるなどゝいふことは夢にも知らない。
 A子は、朝、一度起き出でゝ、窓を開け放してから更に眠り直すのが習慣である。潔癖性に富んだ娘である。窓と並行にベツドが置かれてあるので、A子の寝顔が、若し此方を向いてゐれば、息づかひも解るほどはつきり見える。その上窓の横幅と寝台《ベツド》の長さが殆ど同じであるから、その寝相までが手にとる如く見える
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