の描写を悉く移植することは不可能事である故、此処には主にこの一日の話だけに止めて置くつもりである。理学士が此処に奉職したのは冬の終り頃であつた。春、夏、秋――と今や季節はすゝんでゐる。彼の手帳を通読すると、一人の娘が約半年の間に、たゞ一部屋のうちに於ける営みでさへも、日々に成長があり変転がありして行くことが自づと知れて、新しい発見を覚ゆるが、それは長大篇であるばかりでなしに、発表は許されぬであらう個所が多くの部分を占めてゐるからである。その上男兄弟のみで成長し、未だ何んな恋愛沙汰もなかつた彼は、路上で出遇ふ以外の――それも彼はおそらく迂滑で、恬淡であつた――若き女性の生活などゝいふものは想像の外であつたから、彼にとつては彼女等は冬はあの外套の下にあんな衣裳をつけてゐるのか、下着といふものはあんな風に着るものか、靴下はあんな風に難かしく吊りあげてゐるものか、夏になるとあんな簡単な下ごしらへで、その上にあんな羅《うす》ものをつけたゞけで外出してゐるのか、彼女等は独りになると何といふ不思議な不行儀に成り変ることか……などゝいふことが、全篇を通じて驚嘆の調子をもつて、あまりに臆することなく、あまりに微細に、あまりに研究的に記述されてゐた。――何の事件もない、最も平凡な一個人の、その上たゞ一室内に於ける生活を観るだけでも、傍観者の態度に依つては、そこに不思議な熱と、新しさとをもつた芸術味が感ぜられる――などと、わたしは彼のノートを翻しながら思つた。それは、同じモデルを様々なポーズで描いてゐる熱心な画学生のデツサンを見るかのやうであつた。)
タオルを胸に捲きつけてバスからあがつて来た二人は、そのまゝ椅子に腰を降ろして、アイスクリームを喰べはじめた。二人は並んで前の鏡台に顔を写してゐた。
で、僕は鏡の面に眼を向けると、にこ/\と笑ひながら水菓子のスプンを口もとに運んでゐるいとも健やかな二人の顔が、鏡の中にはつきりと写つてゐるのを見た。額ぶちに入つた上半身の動く大写しであつた。
二人は、ふざけて、わざと大きな口をあけて舌の上にスプンを乗せて互の顔を見合せたりした。そして、仰山に、まんまるく眼を視張つて、突然笑ひ出すと、何が可笑しいのか、切なさうに胸をおさへて何時までも突伏して身悶えをした。さうかと思ふとA子は急に、多分虫歯に冷たいものが滲みでもしたかのやうに、露はな肩をすぼ
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