た。いろいろ奔走もしてゐるらしかつたが、彼は父の仕事は解りもせず、寧ろ信用してゐなかつたので、上の空で聞き流すだけだつた。
「今日は珍らしくお客がないね。」と彼は女に訊ねた。会社に関係する人々が大概この家に出入してゐた。さういふ相談をするには、どうしても斯ういふ家を持つてゐないと都合が悪い――父は彼の母によくそんなことを話して、嫉妬深い母親の心を却つて苛立せて、閉口することが多かつた。
「いゝえ、もうさつきまで三人いらしたんですよ。」と云つて女は含み笑ひをもらした。「若旦那がいらつしやるといふことを聞いて皆さんお帰りになつちやつたんです。」
「若旦那、男前をあげたぞ。」
 父はさう云つて彼をからかつた。五六日前彼は、母と細君に煽動されて、酒の勢ひで来客中のこの家に怒鳴り込んだのだ。
「此間はね。」と彼はテレ臭さうに、女に弁解した。「ありやア大芝居なんだ。……だつて阿母と周子の奴が煩くてやり切れなかつたんだもの……」
「お前えの女房もおつ[#「おつ」に傍点]に気取つてやがるね。俺嫌ひだア!」
 父は、彼の母のことを既にのけ者にして云つた。
「俺も嫌ひになつたア。」と彼も云つた。「鼻が低く
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