取ると、情けなく、手早くそれを身に纏うた。
「ジャケツ? それとも外套?」
「和服の外套にしようかしら。」
細君は笑つて相手にしなかつた。彼は本気で云つたのだ。
彼は、頭がぼつ[#「ぼつ」に傍点]とした。ズックの靴を穿いて庭に飛び降りると、物置から自転車を引き出した。そして往来に出ると、ヒラリとそれに飛び乗つて真ツ直ぐな道を煙りのやうに素早く走つた。この儘、海岸の料理屋へ行くことを思ひきつたのである。
[#5字下げ]三[#「三」は中見出し]
最近彼は、また書きかけた小説「父を売る子」を書き始めた。一度不仲になつた父との関係が偶然の機会で、もとに戻つた。現在の感情だけに支配されてゐる此頃の彼は、もう「父を売る子」を書きつゞける元気がなくなつた。此間彼が出京する時の彼と父とは、この小説の第一節と殆ど同じ場面を演じて別れたのだ。「父を売る子」が書きつゞけられないので、出京後彼は、題は考へずにこの[#「この」に傍点]小説を書き始めたのである。三つの家のことを夫々書かうと思つたのだつた。そしてこれはもつと長くなるのだ。
この小説の第二節の半ばまで、漫然と書いて、これからもつと鋭く父の
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