「俺も一寸今日は……」
 その時父の傍の女が、何か用あり気に席を離れて階下へ降りて行つたのに彼は気附くと、その後ろ姿を見送つてから、
「あんな女何処が好いんだらう。」と云つた。
「あれは少々抜作だ。加《おま》けに面も随分振つてゐるね。」父は大きな声で笑つた。斯う云ふものゝ云ひ方も、斯うあくどく繰り返しては愛嬌にもならない、厭味だ――と彼は思つて、自分にもさういふ癖があつていつか友達から大いに非難されたことのあるのを思ひ出した。
「阿母は偽善者だ。」
「阿母さんは、阿父さんのことを口先ばかりの強がりで、心は針目度のやうだと云つてゐたよ。」
「これから出掛けて、飲まう。」
「うむ、出掛けよう。」と彼も変に力を込めて云ひ放つた。だが父が先に立つて此方を甘やかすのに乗ずると、後になつて蔭で面白がつて彼の行為を吹聴することがあるので、彼はそれを一寸憂慮した。
「だが、今日のことは阿母さんには黙つてゐてお呉れ。」彼は低い声で頼んだ。
「誰が喋るものか、馬鹿野郎!」父は怒鳴つてふらふらと立ちあがつた。

[#5字下げ]二[#「二」は中見出し]

 庭の奥の竹藪で、時折眼白が癇高く囀つてゐた。周子は縁
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