ちは承知しねえ、自分から云つたんだ、さア云へ/\。」
 これにはさすがの清親も、一寸芝居の嘘つき者の如く参らせられて、思はず胸を後ろに引いた。で清親は、ムツと横を向いて、
「文句があるんなら、酔はない時にして貰はう。」とブツブツと小言を呟いだ。「何だ青二才の癖にして酒など飲みやアがつて……」
「何でもいゝから、百遍云つて見ろ! さア俺が勘定をするから始めろ/\……」
「お黙りなさい。」母は鋭い声で叫んだ。
「堕落書生、親父が死んでも悲しくもないのか。」と清親も怒鳴つた。
「親父が生きてゐる時分、よくも俺の親父を軽蔑したな、覚えてゐるだらう。」
「父の喪は三年だ。」と母が云つた。
「貴様には、これ程云はれても何の応へもないのか!」清親は厳然と坐り直した。
「――平気だ。さつぱり悲しくなんてないね。さて、これからまた清友亭へでも出掛けると仕様かな……」
「罰当り奴!」
「親父はさぞ悦ぶことでせうよ、清親さんのお世話になつたら……」いくら口惜し紛れの皮肉だとは云へ、もう少し鮮かな言葉もありさうなものなのに、それでも彼は一ツ端の厭がらせを浴せたつもりらしく、ツンと空々しく横を向いた。
「呆れた大馬鹿者だ。」
「ごまかすねえ、鬚ツ面。」彼は拳固で卓を叩いた。「百辺云はうと云つたのはどうしたんだ? さア云へ/\。」
 到頭清親と彼とは、つかみ合ひを始めたのである。彼より、三倍も肥つてゐるとさへ思はれる清親にかゝつては、一ひねりにされるだらうと覚悟はしたが、思つたより強かつた自分を、彼は別人のやうに感じた。だが忽ち彼は首ツ玉を圧へられて、難なく寝床の中へ投げ込まれた。一たまりもなく頭もろとも夜具に丸められて身じろぎも出来なかつたが、飽くまでも口だけは達者に、
「覚へてゐろ!」とか「百遍聞かないうちは承知しないぞ。」などゝ、いつまでも連呼してゐた。
[#地から1字上げ](一三・八)



底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
   2002(平成14)年3月24日初版第1刷
底本の親本:「中央公論 第三十九巻第十一号」中央公論社
   1924(大正13)年10月1日発行
初出:「中央公論 第三十九巻第十一号」中央公論社
   1924(大正13)年10月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年4月21日作成
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