しだつてもう家には帰れないんだから、あなたが東京へ帰るんなら一処に伴れてつて下さい。」周子は、彼とお蝶との話に気づいて呼びかけた。周子は、彼の味方になつて叔父と母の前で争ひをしたのだといふことである。それが為に彼が内心どんな迷惑を感じてゐるか、彼女は知らなかつた。
「東京へいらつしやる、いらつしやらないは別として、若い奥さんまでが此処に来てしまつてゐるのは好くありませんよ。」
「何だか私たちが、蔭の糸を引いてゐるやうにお宅の方に思はれる気がします。」
女将とお蝶は、迷惑がつてさう云つた。周子は苦笑ひしてゐるばかりだつた。彼は、憎々しく周子の様子を打ち眺めた。
周子が来て以来、夜になつても賑やかな遊びも、トン子の顔を見るわけにもゆかないのは彼は不服だつたが、斯んな風な状態で周子達と共々此処に引寵つてゐるのも「一寸アブノルマルな感じがして悪くもない。」などと思つた。嘗て「真剣」とか「緊張」とか「深刻」とかいふ文学的熟語に当てはまるやうな経験を持つたことのない彼は、一寸夢見心地になつて自分の現在の境遇を客観して見たりした。――父の急死から一家の気分が支離滅裂になり、長男が慌てふためくこと
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