て夥しい疳癪を起すのだつた。そして、そんなに古臭い、彼の母でもが云ひさうな文句を叫んで、何の罪もない周子を虐待した。口先でばかり巧みなお座なりを喋つて、娘の縁家先などを餌食にした周子の父親の心根を想像すると、その片割れである周子の色艶までに憤懣を起したりした。「男ならば、それであればこそキレイな親情を示していゝわけだ。」周子にそんなことまで云はれたこともあつた。
 つい此間、彼が母と共に父の書類を整理した時、遇然周子の父親の名前になつてゐる借金証書を発見して、二人とも唖然とした。自分勝手に周子などゝいふ女と結婚したのが、父や母に対して慚愧の至りに堪へぬ気を起したりした。
「周子の家の方は、一体この頃どうなつてゐるんだらう?」母はいくらか彼に遠慮しながらそんな風に訊ねた。
「どうだか僕は、少しも知らない。」彼は不機嫌に呟いだ。尤も彼も母も、前から周子の父親があまり質の好くない人間であることは薄々知つてゐた。
「あんな家は駄目だ、失敬だ、……俺に対して失敬だ。」彼は常規を脱した声を挙げて、母に媚を呈した。
「どうも困つたものだ。」母はさう云つて、見るからに不快気な、棄鉢な格構をした。すると彼の胸に、もう一つ別な心が浮んだ。……困つたとは何だ! 何でもを自分のものと考へるのは図々しいや……そんな風に思つて彼は、一寸母をセセラ笑つた。そして母が今迄周子に執つた態度を回想して、あれぢや周子が口惜しがるのも無理はないと思つたり、また母から見たら、さぞさぞ周子までが心憎いことだらう、何と浅はかな母親よ――などゝ思つて反つて母に同情を寄せたりした。
「あの親父は、実に酷い奴ですね。」彼は、軽い遊戯的な気持だつた。
「だから御覧なさい、周子だつて似てゐるところがあるぢやないか、あの子はなか/\怖ろしい心を持つてゐるよ。」
「どうも僕にも気に喰はないところが!」
「あれぢやお前が時々疳癪を起すのも無理はないと私は思つてゐるよ、生意気だつたらありやアしない! あんなのが女優志願なんてするんぢやないかしら!」
「志願したつて仕様があるものですか、あの顔に白粉を塗つたらのつぺら[#「のつぺら」に傍点]棒だ――」
「クツクツク……」母は、嬉しさうに芙つた。「まつたくね! 遠国の者は気が知れないからね。」
「もつとも彼女《あれ》には悪い気はないですよ、悪気でもある位なら、いゝんだが……」彼は巧みに母を操つてゐる気がした。
「そりやアさうね、その日暮しのそだち[#「そだち」に傍点]をして来た者は御苦労なしだよ。……だからお前がそこをしつかり教育さへすればいゝんだ。」
「なまじイヽ家からなど貰ふと反つて気詰りでせうね。」彼は多分の皮肉を含めたつもりだつたが、母にはそれが通じなかつた。
「さうとも/\。」と母は易々と点頭いた。するとまた彼は、自分だけで周子に憤懣を覚へた。自分よりか、この阿母の方が矢ツ張り好人物なのかな? そんな気がした。
「これからはお前の代なんだから、痩せても体面を汚さぬようにしなければいけないよ。」
 彼は、もう少しで噴き出すところだつた。
 ――彼は、若き男でありながら卑屈な姑根性なるものが、よく解る気がしてならなかつた。母の態度に、それを見る時、それを興味深く思ふこともあつた。飽くまでも執念深く発揮すれば面白いが――そんなに思つて不足を感ずることさへあつた。若し自分が、女に生れて、そして年を取つたら、古めかしい型通りに卑屈で強情な、さぞさぞ意地の悪い鬼姑が出来あがることだらう――彼はそんな空想に走つたりした。
「あそこの母親もね……」
「フツフツフ、……」
 自分達だけは小高い丘に坐つたつもりで、他人を冷笑することの好きな母と子は、不気味な親しさに溶け合つて、卑しい笑ひを浮べた。
「あたしはあなたを見損つた。実に男らしくない人だ。」周子は、お蝶達の前もあつた為か、蒼い顔をして唇を震はせた。「今迄お金のことなどに就いては、如何にもキレイな顔をしてゐたのは大嘘なんだ。親同志が話し合つてしたことを……」
「親同志、なる程ね、得をした親の方はいゝだらうが、此方は損をしたんだからね、……」彼は落付き払つた態度をした、だが、なる程今迄は周子の前では、度胸が大きく金銭などに就いては非常に高潔振つてゐたことを思ひ返して、一寸我身に自ら矢を放つた思ひがして小気味好かつた。
「……何が芸術家だ! 友達などに会ふと体裁の好いことばかし云つてゐるくせに………」
「お前にも今迄は体裁の好いことをワザと云つてゐたんだよ。」
「大うそつき! そんな嘘つき芸術なんて……」
「あゝさうだ/\。俺は芸術家でもなんでもありませんよ、私には、あなたのやうに高尚な気分なんて生れつき持ち合せないんですからなア――だ。」
 大分酔の回つて来た彼は、ほんとにさういふ気で、憎々しくふて
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