――。お迎ひの催促、トン子さんもゐますわよ。」
「大変だ/\、阿母が来る/\!」
「えツ!」とお蝶はたぢろいだ。
彼は慌てゝ父の座敷へ走つた。そして同じことを叫んだ。父は、尻をまくつて、出たらめな奴さんを踊つてゐる最中だつた。
「私はあつちへ行つてゐます。」とお蝶が云つた。
「いゝよ/\。阿母が納得するやうに話してやらう。みつともねえ! 五十代の夫婦だ。」
「…………」
彼は黙つて、正面の父の席に坐つた。この前の時彼は、父とお蝶の前でトン子といふ若い芸者を推賞したら、或はその為かも知れない、座敷の隅にちやんとトン子が坐つてゐた。彼は、惜しいことになつたと思ひ、トン子と父の顔を意味あり気に一寸眺めた。
「馬鹿奴!」父は笑つて、彼に云つた。
「来た/\。」と彼は小声で囁いだ。廊下に、妙に冴へた足音がしたのだ。お蝶は逃げ出した。父は、彼の方を向いて大きく口をあけて見せた。
女将に案内されて、母が仕方がなく来たやうなしな[#「しな」に傍点]をつくつて入つて来た。女将と初対面の挨拶などした。
「いろ/\御厄介になります。お騒がせして申しわけありません。」
女将は返答に困つて、お辞儀ばかりしてゐた。父と彼は、交互に盃のやりとりをした。
「皆な帰らないでもいゝよ。今日は家内中での遊びだ。」と父は云つた。母さへその気になれば、それは一寸面白い――と彼は思つた。
「シンイチに気の毒です。」と母は開き直つて云つた。「勉強が出来ないと云つて、毎日これは滾してゐます。これは夜でなければ勉強が出来ない質《たち》です。」
「さうか?」父は彼を振り返つた。彼はにや/\と笑つて、盃を重ねた。
「私にばかり滾さないで、お父さんにはつきり断つたらいゝでせう。」
「…………」
「親がこの態では、子供のしつけなんて出来る筈がありません。」母は、醜くゝ落つき払つてそんなことを云つた。
「御免/\、親父が馬鹿なら阿母が賢夫人だから、丁度いゝぢやないか。親父のやり損ひは愛嬌としてしまへ。――」
彼は、自分が玩具にされてるやうな不快を感じた。だが斯うなると彼は、上ツ面ばかりが安ツぽく狡猾になつて、
「いゝですよ、阿母さん。」とワザと調子の低いしんみりとした声を出して、
「私だつてもう小供ぢやないんだから……」と云ひかけて、残りは万事胸に心得てゐるといふ風に、笑顔をもつて点頭いて見せた。何を心得てゐるんだ
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