敗北を取りさうな細い声に変つたのに自ら気づいたから、突然家中に鳴り響く大声で、
「親父が、僕にさう云つたア/\。」と滅茶苦茶に喚いた。
「狂ひだ。」と母が云つた。
「貴様達が親父を殺したも同様だ。」達といふのは周子をも含めて、清親が云つたのだ。
「さうだ。」と母も云つた。
「俺は周子如き女に甘くはないんだぞ。」彼は真心から叫んだ。清親や母は、周子にそゝのかされて彼が母に反抗するのだ、といふことを蔭で云つてゐるさうだ。
「手前の女房に馬鹿にされる奴も、まさかあるまいよ。」清親は憎々気な冷笑を浮べてせゝら笑つた。
「それぢや何故、俺のことを蔭で、そんなに云つた。……卑怯な奴等だ、そんな連中は、母とも叔父とも思はない。」彼は口惜しさばかりが先に立つて、言葉が出なかつた。
「女房さへあれば、いゝのか。」清親は更に嘲笑つた。
「…………」
 彼の極度に亢奮した心は、またふつと白けて、おどけて芝居のことを思つた。若しこれが新派劇だつたら、俺の役は一寸好い役だな! して見ると母も清親も、この儘舞台に伴れ出したら相当の喝采を拍すだらうよ――などゝいふ気がすると同時に、彼はわけもない冷汗が浮んで、心は虫のやうにジユツと縮み込んで、そつと清親と母の姿を眺めた。
「俺は、もう一生家には帰らない。周子とは、そんなら別れた上で、貴様達と喧嘩するぞ。」彼の気持は妙に転倒して、そんな拙いことを清親に云つた。
「勝手にしろ、自分の女房と別れるに人に相談はいらないよ。」
「……」彼は、また文句に詰つた。ほんとに周子とは別れやうか、思へば俺だつて彼奴の親父などは癪に触つてならない――そんな事を彼は思つてゐた。
「親父の位牌を背つて出て行つたらいゝだらう。」
「……」彼は涙を振つた。
「独りもいゝだらうし、親子三人伴れもいゝだらうし……」清親は、勝利を感じたらしく快げに呟いだ。
「何だと、もう一遍云つて見ろ。」彼は、何の思慮もなくカツとして、極くありふれた野蛮な喧嘩口調になつて腕をまくつた。
「何遍でも云つてやらう、百遍も云つてやらうか!」
「うん、面白い、さア百遍云つて見ろ。」
「何といふ了見だ。」母は傍からさへぎつた。とても清親が百遍それを繰り反せる筈はなく、さうなるとこゝぞと云はんばかりにしち[#「しち」に傍点]くどく追求しやうとする彼の卑劣な酔ひ振りを母は圧へねばならなかつた。
「百遍聞かないう
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