。」
「厭なことだ。」彼はさう云つて、凝と清親のたるんだ頬のあたりを視詰めた。彼が母方の者に斯ういふ態度をしたのは始めてゞ、その為に清親や母が何れ程自尊心を傷けられたか? と想像すると彼は愉快だつた。だが胸の鼓動は異様に高かつた。宮原は、あつ気にとられて切りに煙管をひねつてゐた。
 清親と母は軽蔑された憾みを火の如く烈しく炎やしてゐるだらう……さう思ひながら彼等の亢奮の上句蒼ざめた顔色を、等分に眺めた彼は「馬鹿奴、こゝのところは俺は親父とは違ふんだぞ!」と云つたつもりの力を込めた。
「何しに帰つて来たんだ。」余程気が転倒したと見へて、清親はまた同じことを繰り返した。
「自分は何しに来てゐるのだ。フヽンだ。」
 彼は茶飲茶碗に酒を注いで、一息に飲み下さうとしたが、とても不味くて、そんなことは出来なかつた。彼は、たゞ狐のやうな虚勢を示すばかりだつた。今迄は清親と会へば、いつも行儀よく膝も崩さず、「叔父様」と呼び「私」と称してゐた彼だつた。それも母の教育で、彼女は自分の身内に対しては飽くまでも厳めしい礼儀を強ひるのだ。それもいゝだらう、それならば何故此方の者のこともさうしないのだ……彼は、清親と母が、父が居る時分でも、父が留守だと、父を冷笑的に批評してゐたのを知つてゐた。
「御挨拶をしなさい、挨拶を――」
 母は事更に言葉をそこに引戻さうとして、彼に詰つた。
「厭だと云つてゐるぢやないか。誰がくそ――」
 彼は洒々として天井に顔を反向けた。親父の兄弟の悪口なら喜んで聞く癖に……何が礼儀だ。
「岡村清親なんて出しや張るな!」
「叔父をつかまへて呼び棄てにするとは何事か!」清親はカツと口を開けて怒鳴つた。母は眼眦を逆立てゝ彼を睨めた。
 ――斯うなれば何と悸かされたつてビクともしないぞ――彼はそんな力を容れた。
「貴様が家をあけて、誰が家のことをすると思ふ、清親叔父さんだからこそ斯うして親切に面倒見て呉れるんだ。自家の兄弟なんて幾らあつたつて、役に立つ人は何もないぞ。」
 母はキンキンと響く声で滔々と喋り始めた。その言葉の内容の如何に係はらず、この種の母の文句を耳にすると、彼は無性に肚がたつのが癖だつた。理性もなにもなく、たゞ嫌ひな料理を無理矢理に鼻の先へ突つきつけられるやうな嘔吐感を催すのだ。
「生意気な口をきくなら、何から何までキチンと自分で始末したらどうだ、手紙一本だつ
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