けて、落第したんだつてさ。」
 と母はわらつた。
 やがて婆さんは、あれが出来たから今度こそは何時でも気軽に熱海に行けると悦んでゐたのに、あの煙突と笛の音を思ふと体がすくんでしまふ――と滾しはぢめた。車体の小さいのに比べて、走り出すと恰で馬力《トラツク》が駆け出したかのやうな地響きを挙げ、蒸汽の音は駄馬の吐息のやうに物凄かつた。この物音を聞くと沿道の人々は「それツ、軽便が来たツ」とばかりに駆け出して、物珍し気に見物した。すると運転手は益々得意になつて要もないのに激しい汽笛を鳴しつゞけた。さういふ物見高さに煽られて多くの運転手達は女道楽に身を持ち崩した。
 私が中学二年の春休みに、熱海から祖母を迎へ返すと、途中で三度も手をひいて降りなければならない程の状態となり、家に戻つてからは寝たきりになつた。私はその枕元で昼となく夜となく、アメリカの父から来る新聞や手紙を読み聞せた。私は六歳の時からカトリツク教会のイギリス人に伴いて読み書きを習つてゐたので、もうその頃は外国からの少年雑誌《セントニコラス》や新聞の日曜漫画など、即座に日本語に移しながら朗読が出来た。人気者のハツピー・フリガンのことを私
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