て東京に帰らうとする自分に、何か積極的な理由を感じてゐた。
 それで、何んなことを書き散らしたかしら? と思つて見ても思ひ出すことは出来ないやうな果敢ないものばかりだつた。
 彼が心の状態が最も哀れな時は、彼は往々内容には何の的もなく「題名」見たいなものを考へる癖があつた。尤も、これは小説を書くやうになつてからの習慣ではなく幼年時代から彼は、それに似た癖をもつてゐた。
 絵でも小説でも題名を先に考へた場合に、その仕事がまとまつた経験を彼は殆んど持たなかつた。無理もないのだ、それは悪い幼稚な感傷で、決して内容が伴はない、それでゐて技巧的にも見ゆる浅はかな単なる文字に過ぎなかつたから。
 彼は、だからいつも題名を先に考へたときには、慌てゝそれを抹殺することは困難ではなかつた。稀にはわざとらしい題名に阿つて曲文を弄することもあつたが完成する筈はなかつた。
「何んなことを思つて何んなことを書いて来たのだつたかしら?」と、彼は、呟いだがまるで思ひ出せなかつた。
「冬の風鈴」
 そんなことを紙に誌したことは覚えてゐるが、あれには例の如く一言の内容もない。



底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
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