ひの青年運転手である。
 彼は、吾々を乗せて深夜のバラツク街をのろのろと走つた。吾々は、道々、自分達が何故去年の夏以来来なかつたか! といふことに就いて話した。×さんは、話のために道をワザと迂回した。そして町はずれの小バラツクの前で吾々を降ろしたが、妻が賃金の紙包みを彼のポケツトにおし込むやうにしても彼は、ひたすら拒んで、アツハツハ! と笑ひながら逆もどりの出来ない程な道なので、その儘真つ直ぐに走つて行つた。
 吾々は、隙間から灯りが洩れてゐるバラツクの門をドンドン叩いた。――どなたですか? と誰何する声がしたが、聞えぬ振りをして自分はひたすら叩いた。
 まさか忘れはしまいとは思つてゐたが、案外お前のことだから? と思つて随分苦労した。――などゝ母は、好意を含めて此方を呑気者に扱つた。お前のことだから――といふ風に云はれるのは、自分は親からでも擽つたい。それに、返事を書くのが厄介だから成るべく手紙を寄して呉れるな、などと勝手なことを云ふので、が、まア、遠慮してゐたのだが、あしたになつたら、電報を打つゝもりだつた……。
「でも、まあ好かつた。」と、母は、二度もそんなことを云つて笑つた。吾々は、努めてゞはなしに、笑ふやうなことばかりを多く話した。
「前の日に法事をして、それから九日にお墓参りをするんですね、ちやんと知つてるさ、それを×子てえばさあ、九日にいちどきに済せるんだなんて……強情!」
「それは、昔から――」
「いゝえ、あたしのお父さんの国ではさうだつて云つたゞけなのよ、お母さん。」
「手紙だけは、昨ふ方々に出しておいたよ、お前の名で――あとのことは、お前が帰つて来てから相談しようと思つてゐたんだが、もう今日となつてはそんなことも云つて居られないんで、大体、決めたが――」
「それは、どうも――ハ……。それだあからよう、私あ、もう、どうしても今日のうちにやあ帰るべえと思つてねえよう……」
「汽車に乗り遅れた時、何さ!」
 吾々は、他合もないことを飽きずに語り合つて、夜が白々とする頃寝に就いた。

 三月七日
 自分は、午近くに起きた。ふつと眼が醒めた時には、何時もの東京の部屋かと思つた。居るだけで好いのだ、その他には自分には用はないので、母から少しばかり金を貰つて街に出かけて見た。
 好い天気である。
 東京の家で、苛々しながら机に向つてゐたことを思ふと何だか可笑し
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