予定の如く書店丸善へ先づ赴かなければならないのだ。予定とは? 私は、その店で一部のバースデイ・ブツクを買ふつもりなのである。そして私はこの稿のためにこの街を訪れる限り、そこで出遇つた紳士淑女に、いち/\これを突きつけて、夫々のその栄ある誕生日の日附けの下に親愛なる署名を乞はう――と計画したのである。そして私は、その冊子を記念として永く蓄へ、また、この行程の終つた節に、きらびやかな贈り物をしよう――と、妙な計画をたてたのである。
 だから私は、誰とも言葉を交へぬうちに記念帳を買つてしまはなければならなかつたから、改札口を出るかいなや伴れの者の腕を執つたまゝ傍眼も触れずに丸善へ駆けつけたのである。が、私が、中将湯の前に来かゝつた時である。背後から私の名を呼ぶ者があつた。――見ると、真新しい黒オーバをまとつた銀行員風の若い紳士である。知らぬ人だ。
「やつぱし貴方だつた。私は、電車の中からそれとなく後をつけて来たんだが、お伴れがあるし、それに歩き方と胸の張り具合が何うも貴方らしくなくも思はれたので……」
 など、彼が長い前置をしてゐるうちに、その微笑の度毎に現はれる八重歯で、私は突然少年の彼を
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