を振つてゐた。鳥類の群が到着したやうな騒がしさであつた。六尺豊かの赧顔の紳士が、ローラは横抱きに両腕に載せて悠々と人々を分けてプラツトホームに降りて来ると、滝本には到底聞きとれなかつた早口で愛嬌めいたことを云ひながら――さあ、どうぞうけとつてお呉れ、私達のローラを――さう云つて滝本の胸先に突きつけたので、滝本も亦紳士と同じやうに両腕の上に享けなければならなかつた。滝本があかくなつてローラをうけとると、列車の中の人達が一勢に鬨の声を挙げた。そして、慌しく幾人もの人達が次々に降りて来てローラの額やら頬やら唇に激しい接吻の雨を浴せてチヨコレートの包や花束などでローラの胸を埋めた。中には、さめ/″\と涙を滾してゐる年寄りの婦人もあつた。
あとでローラが云つたのだつたが、これでもうローラは一行の者とは再び日本では会はないであらうといふことだつたので、あのやうに皆なが、事の他感情に走つてゐたのであるさうだつた。道理でつい此間|埠頭場《はとば》で彼等を迎へた時に比べると全《まる》で趣きが変つてゐた――と滝本は気づいた。花束や菓子の箱などに埋れたローラを抱きあげてゐる滝本を中心にして、突差の間に、記念の撮影などして、一行の列車は西へ向つた。
あの時ローラを抱き降ろして来た肥つた紳士は、ローラの街のミドル・スクールの博物の先生でウヰルソンといふ博士ださうだつた。一年ばかり前からローラは、ウヰルソン先生の標本室に助手を務めて、自活の道を立てゝゐたさうだつた。
支線の車に乗り換へると、ローラも涙に沾《ぬ》れた顔を直すために※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ニテイ・ケースを膝の上に取りあげると一心になつて鏡をのぞきはぢめた。
「妾のフランク――」
とローラは滝本を称んだ。この前に合つた時に、二人の父親がアメリカ人の友達の間でフランク・タキモトと称ばれてゐたことを思ひ出して――これからはお前のことを左様称ぶよ――とローラが勝手に決めてしまつたのだつた。その時滝本は、村井の小説の話を持出して、この頃村では、互の名前をパトリツクだとか、セブラ、オーソニイ、そしてダビツトだとかに称び代へてローマンスの夢に耽つてゐるところなので、今度は自分がフランクとなつても驚きもしない――などゝ突然大きな声で、わけもなく嗤ひ出しながら点頭いたりした。
「此方側に回つて、妾がお化粧をする間、これをおさへてゐて頂戴な――」
ローラが化粧箱を叩くので、滝本はシートを向ふ前に座り直して額ぶちでもさゝげる見たいに鏡をその顔の先に持ちあげた。――そして滝本は、しげ/\とローラの顔を眺めてゐた。ローラの碧い瞳に、自分の顔が小さく映るのが窺はれさうになる位ゐ眼近に、ぼんやりと娘の顔を眺め続けるのであつた。
……さうしてゐると滝本は、止め度もなく不可思議な人生の、奇抜な因果観念に襲はれてならなかつた。異様な冷たさを湛へた不意の新しい血潮が激しい勢ひで身内を流れはじめたかのやうな変な震えを覚えた。さうかと思ふと、全く心には何の衝動もなく、たゞ珍らし気な人形に接してゐる見たいな白々しい心地に誘はれたり、夢遊的な面白さに駆られたりした。そして、たゞ妹といふ常識的な観念が何うも切実に響いて来ない憐れつぽいやうなもどかしさに追はれて敵《かな》はなかつた。
「ローラさん、日本語を用ふのは骨が折れますか?」
さつき滝本が話したのと違つて、ローラはあまり日本語を用ひないので百合子が左う、大分に教室的英会話風に訊ねると、ローラは気の毒さうな顔をして、殆んどもう忘れてしまつたから、これから精々プラクテイカルに聞き覚へたい希望を持つてゐる、どうぞ親切な教へ手になつて呉れ――と心細さうに云つた。
「素養があるんだから、忽ち上達するだらう――それに、僕達の仲間の会話には、地方色がないから、聞いたまゝを、そのまゝテキストにすれば大丈夫だらうよ。」
滝本は自信あり気な口調で、そんなことを呟いた。
H駅で降りると、塚本の七郎がラツキーに曳かせた馬車を持つて迎へに出てゐた。
「皆なは?」
武一や竹下達のことを滝本が訊ねると、皆なは森の家で歓迎宴の支度をして待つてゐる――。
「うちの親爺も八重もお手伝ひで大騒ぎだよ――だけど今から出掛けて行つたら竹下さん達には多分途中で遇ふだらう。」
七郎は妙にとり済してゐた。そして、凝とラツキーの轡をとつてゐた。――荷物は別の車で送ることにして、出発しようとすると、七郎は、滝本に馭者台に乗れと云ふのであつた。
「ラツキイの奴は、どうも俺の云ふことを巧く訊きやあがらないんだ。篠谷に行つてる間に大分駄馬になつたらしいぜ。」
「車を曳かせるのも乱暴だな。」
競馬用だつたのに――と滝本は思つた。
「もうどうせ今年からは競馬には出さないつて云ふんで、篠谷ぢや野良になんて伴れ出してゐたさうだよ。俺は、それを聞いた時には太一郎達が何か新しい魂胆を回らせてゐるんだらうと思つたが――」
二人が、荷物の支配などをしながら篠谷に対する憤懣からついつい荒つぽい言葉を取り換してゐると、何時の間にかローラが傍らに来てゐて、滝本と七郎が、
「よしツ、もう二度とラツキーは渡しつこないから!」
「あんなべら棒な話つてあるものか!」
さう云つて言葉が止絶れると、ローラは酷《ご》く熱心な眼を輝かせて、さつきから二人の会話を非常に注意深く聞いてゐるのだが、さつぱり意味が解らない、二人は何か争ひを始めたのか? 「あいつ」といふのは「彼《ヒイ》」の意で「俺《おい》らはなあ!」といふのは「自分が考へる処に依ると」といふ意味だと百合子が教へたが、その他の「べら棒奴」とか「あん畜生奴が」等と云ふのは(それがまたこの時非常に屡々二人の間で使はれてゐた。)一体何詞に属するのか? と滝本に質問した。一体滝本は、何事に依らず説明をするといふ業が酷く不得意だつたが、この時は七郎から篠谷の噂を聞いて向つ肚が立つてゐて、凡そローラの心持とはうらはらだつたせゐか、面倒臭さうに、それは単なる感投詞だ! と答へたゞけであつた。
ラツキーに車を曳かせるのを思ふと滝本は、いろ/\と胸が痛んだが、百合子は関はぬと云ふし、それに踵の高い靴を穿いてゐる二人の娘に村までの道を歩かせるわけにも行かなかつたので、上着を脱ぎ棄てゝ馭者台に乗つた。
「ぢや俺は先へ行つてゐるぜ。若し途中で太一郎にでも会つたら、ラツキーの話なら塚本に来れば解ると、若し向方で何か云つたら左う云つて……」
七郎は自転車で走つて行つた。
十
駅から森のR村までは海に臨んだ崖道に沿つて、山裾が翼になつて彎曲してゐる蜜柑や麦畑の丘の下をうね/\と迂廻しながら、三つの部落を過ぎた後に、北へ、山へ向つて二里ばかりの田圃道をたどらなければならなかつた。――午迄には未だ余程の間がある真夏のきらびやかな朝の陽《ひか》りのうちだつた。白い雲の峰が水平線の上に一塊りになつてぽつかりと浮んでゐた。山裾を回つて裏側の道へ向ふ時は恰度崖道が海の上へ向いてゐるやうなかたちになつて、沖合の雲が脚下に見降せるのであつた。滝本は、なるべくラツキーの脚並みを和やかに保つて、座席の者と話を交しながらすゝんで行つた。ローラは次々に展開されて来る新しい風景を口を極めて賞め讚へながら――、
「去年のロメリアで、先生達と一緒にレーキ・サイドへ行つた時に見た景色に似てゐる。」
などゝ云つた。
「ロメリアつて何なの?」
「ハヽヽヽヽ、それは方言だつたかも知れない、失礼――。ピクニックと|同じ意味《シノニム》なんだけれど、もう少しお祭り気分が濃厚の、あたし達の町の行事《ロマノールム》なのよ。やつぱり斯んな馬車を、花などで飾つて幾台も連ねて、それこそお爺さんもお婆さんも若者も、娘も、皆な夫々得意の楽器を一つ宛抱へて浮れ出すのよ、面白いこと!」
「まあ――。ローラさんの楽器は何なの?」
「タンバリン――去年の時は、お友達とおそろひでジプシーになつてよ。……さう/\、あたしが幼い時分にフランクはホルンを吹いてゐたけれど今でも続けてゐて?」
「……さうだ、あのラツパは持つて来て置きたいな!」
と滝本は呟いだ。「続けてゐるよ。ねえ、百合さん?」
「あの時――」
と滝本の背後で百合子が云つた。堀口と争つて海辺へ逃れた時のことを百合子は思ひ出したらしかつた。……「この頃、あの時一度聴いたゞけだけれど……」
百合子の口紅《べに》が、ラツパについてゐたのを知らず口にして百合子に笑はれた時のことを滝本は思ひ出して何やらヒヤリとする思ひに打たれて口を喊《つぐ》んだ。あの時考へた「結婚」の妄想は、さま/″\な事件に追はれてゐるうちに自分ながら烏耶無耶になつてゐたが、百合子の胸には何んな風なかたちで残つてゐるのかしら? と滝本は思ひ起してゐた。
やがて小さな岬を廻つて中途の村に着くと、村端れの休み茶屋の前に出たので滝本が馭者台から飛び降りてラツキーに水を与へようとすると、不図堀口に出遇つた。
「やあ/\御苦労様!」
堀口は酷く愛想の好い態度で、滝本達を迎へた、「停車場まで迎へに出なければならなかつたんだが、時間が少々早過ぎて、遅れて済みませんでした。大変だつたらう。でも、まあ、此処で遇へて好かつた、あの……」
と堀口はローラの名前を訊くのであつた。滝本は大分勝手の違ふ心持で、名前だけを通じると、
「さう/\ローラさんか――。さあ、まあ、ちよつと降りて一ト休みして下さい。」
馬車の傍らに進み寄つて、ローラと百合子に次々に腕を差しのべて、いんぎんに茶屋の奥へ案内するのであつた。
「守夫君、ローラさんは日本語は何うなの?」
「出来るでせう、一ト通りは――」
「そんなら好いが、若し巧く行かなかつたら君通訳して呉れないかね。」
ローラは、酒樽などが据えてある店の腰掛に百合子と並んで、あたりをきよろ/\と見廻しながら、此処は何う云ふ類ひの家なのか? などゝ百合子に訊ねてゐた。百合子が、酒場《バア》とホテルを兼ねて、そして村人達のクラブにもなつてゐるところだ――などゝ説明してゐた。
「ローラさんですか、私は滝本の縁家先の者でして。」
堀口が、ローラの長い旅の労を丁重にねぎらつたが、相手にはさつぱり通じぬ模様だつた。堀口は、てれて、これあ困つたな……と苦笑しながら、
「おい守夫さん、何とか云つて呉れよ。」
と救けを求めた。滝本は、不図堀口に対する積る鬱憤を晴すのは斯んな時だと思つたので、ローラに向つて、
「この男は――」
と、様子だけはおだやかにして、堀口を説明した。「怖るべき悪人としてお前に紹介するが、吾々のフランクが亡くなつた後に、一切の吾々の権利を奪つて、吾々を窮地に陥入れようとしてゐる憎むべき人物なのである。心に思つてゐるまゝの事を決して口に出して云はぬ稀大の嘘吐《うそつ》きである。要心せよ。」
「有りがたう。」
と堀口は云つた。百合子は、笑ひを怺えるために唇を噛んでゐた。
「見よ、彼の面上に漂ふ真実味に欠けたる微笑の有様を――」
と滝本は続けた。「彼方に見えるあの青々とした蜜柑畑の丘、そしてあの丘の下にある吾々の家や畑や、または町の銀行に預けてある吾々に属すべき幾種類もの株券――それらの財産の凡てを、他人の名前に書きあらためて――」滝本は、母と云ふべきところを「他人」と云ひ換へたのである。「更に余をこの地から放逐せんと計《くわだ》てた邪悪の心の持主である。そして、お前が、余の妹であるといふ事実は知らぬ筈なのだけれど――」
「守夫君――」
と堀口は滝本の手を引いて「斯う云ふことをローラさんに云つて呉れないか――。たつた一人で斯んなところへ訪れて来て定めし心細いことだらうが、此処はあなたの第二の故郷も同然のところだし、吾々がついてゐれば決してもう心配することは要らない、優しいお母さんもゐる、親切な私といふをぢ[#「をぢ」に傍点]さんもゐる――どうぞ、もう、何の遠慮もなく何時までゝも居て呉れるように――と。」
「あなた達は一体ローラのことを何う思つてゐらつしやるんですか?」
滝本は思はず気色
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