して素知らぬ風を装ふ話振りと云ひ、凡そもう何処にも怯えた気色のない堂々たるロビンフツドの徒党であつた。
彼等は村の青年団から剣術道具を借り出して竹刀で各自の背に荷ひながら丘を越へた森の村の青年団と試合に赴く風を装つてゐたのである。実際、向ふへ行き着いて見て、森の屋敷の固めを踏み越え損つた時には、其処の村の道場で、堀口や篠谷方の若者を相手に激しい勝負を渡り合つて鬱憤を晴すのが常だつた。此方は遇然にも並《そろ》つた初段級の腕達者ぞろひであつたから、彼等に負《ひけ》をとつた験はなかつた。就中竹下の面取りの早業と村井の刀捌きの目醒しさでは、R村の連中は悉く眼を視張つて、一体彼奴等二人は何処からやつて来た天狗なんだらう。ついぞこの辺りに見たこともない達人ではないか。吾々のチームに若しもあれ位のが二三人居たら何処へでも遠征して近在に覇を唱へてやるんだが――と囁き合つてゐた。この近在では軟式野球よりも遥かに剣道の方が隆盛で、年々春秋のリーグ戦になると村中がその争覇戦に熱狂するといふ有様であつた。
「今夜もお並ひでお出かけですかね。この分では秋のペナントはH村のものだといふ評判ですから、まあ精々練習して来て下さい。」
「R村でも負ん気で、毎晩の練習時間を十時まで繰りあげたさうですぜ。」
すれ交《ちが》つた野良帰りの人達が彼等の姿を見ると、頼もしさうにして斯んな言葉を掛けた。
やあ/\! など、晴々しさうに手を振つて行き過ぎるが、此方にとつてはそれどころではなかつた。――以前滝本はあの海辺の家にあつた実生活に要のない様々な道具類などを、間もなく彼処を引きあげるつもりだつたので武一に謀つて、森の家の土蔵に預けて置いたのであるが、今やこれを再び持ち出して売却しなければならなかつた。翌月になればもうローラが到着するといふのに滝本の生活の方針は恰で有耶無耶だつた。武一も亦、就職の目当がつかずこの先百合子を保護するためには、何うせもう父親が顧みてゐない蔵の中の巻物とか金銀とかを運び出して兄妹の上京後の当分の生活費に運用しなければならない破目だつた。土蔵は篠谷の手に依つて個人的に封印されてゐる状態だつたから、この行為は或種の犯罪に相違なかつた。その上また滝本に就いては、それらのものに至るまでの所有権云々に関して堀口剛太が邪な監視の眼を輝かせてゐるので、何うしても彼等は夜盗の手段を執るより他に道がなかつた。それで今になつて見ると百合子が、あの屋敷に伴れ戻されてゐることは、味方にとつては幸ひになつたわけである。百合子は土蔵の鍵を秘蔵して夜々《よな/\》彼等を導き込む役目を果しつゝあつた。堀口や継母や篠谷達もこれに目をつけて、鍵の在所《ありか》を家探しゝてゐるさうだつたが、そして彼等も亦百合子に依つてそれ[#「それ」に傍点]を尋ね出さうとあせつてゐたが、百合子は飽くまでも空呆けて、
「それはお父さんでなければ解らないわ。G町へ行つて訊いていらつしやいよ。」とはねつけるだけだつた。森の主は、この屋敷に見限りをつけて三駅ばかり離れたG町へ移つて、隠遁の夢をもくろんでゐるだけだつた。そして決して此処に脚踏みしようとはしなかつた。
堀口と継母が百合子を此処に伴れ戻した理由は自づと了解されたわけだつた。
「ねえ百合さん、あんたが鍵の所在に就いては前々から解つてゐるからと父さんだつて左う仰言つてゐるんですよ。整理上とても困つてゐるんですから、そんな意地悪るをしないで渡して下さいよ。」
「それさへ教へて下されば太一郎君の方だつて、一切もう穏便にして、先づラツキイをあなたにお返しすると云つてゐるんですよ。競馬だつてもう目近に迫つてゐるし、ラツキイがとり戻せるんなら、斯んな得なことはないぢやありませんか。」
堀口や太一郎は、可笑しい程神妙になつて斯んな風に百合子に迫つた。そして自分達の眼のとゞかぬ時は、篠谷側の雇人達を屋敷の中に配置して百合子の動作を監視せしめた。森家の雇人と彼等との間にも百合子を中心にして絶え間のない暗闘が繰り反された。
「お前さんといふ人は、何うして左う強情なんだらう……」
時々訪れて来る継母も堀口達と一処になつて、百合子に詰め寄つた。「お父様からのそれがお言伝だと云つてゐるのに――蔵の鍵なんてお前さんが持つてゐたつて別段役にもたつわけでもないのに……」
百合子には彼等の内心の業慾がはつきりと解つてゐるので、滝本等の場合がなくてもそんな甘言に乗る筈はなかつた。さんざんに、意のまゝに、業慾者達を嬲ることが出来るのが思はぬ愉快となつた。
「えゝ、――」と百合子は故意に素直らしく首を傾げたりした。
「前には妾が、お蔵の鍵の番だつたけれど、東京へ行つてゐる間は兄さんに渡して置いたのよ。」
未だ百合子が云ひ切らぬうちに堀口等は、
「それあ大変だ! ぢや早速武一君を伴れて来て……」などゝ慌てゝ、目配せをするといふ始末だつた。
「それはもう妾がとうに兄さんに訊ねたわよ。兄さんはお父さんに渡してあると云つてゐたわよ。」
「恰で話が合はんな!」
堀口は、思案が尽きて腕組をするとぐつたりと首垂れてゐた事もあつた。
「お父さんは、ひよつとすると、あんな風な癇癪持ちだから河の中へでも棄てゝしまつて知らん顔をしてゐるのかも知れなくつてよ。」
百合子が自分も不安さうにして斯んな事を云つた時には、堀口等は思はず異口同音に、失敗《しまつ》たなあ! と長大息を洩したものである。それから彼等は寄々相謀つた揚句、合鍵を鋳造することに決したが、何しろ二百年も前から伝はる錠前なので到底今日のものでは役に立たぬことが解つて改めて、入念の家探しに没頭してゐる時だつた。
森の屋敷は鬱蒼たる針葉樹林に取り巻れて、大昔の面影をその儘伝へたピラミツド型の斜面を持つた草葺屋根を二棟に分つた館を中心にして、池を囲らせてゐる。館の奥の間には、道中の大名が宿泊する「鶴の間」と称ぶ簾のかゝつた段上の部屋があるかと思へば、見るも怖ろしい丸太格子に区切られた牢屋があり、その壁には悪人の背上に百叩きの責苦を加へた拷問の鞭が、百年の年月の経過も知らぬ風情に、急用の役にも立たんと云はんばかりに掛け放されてある。また眼を庭園の彼方に放つならば昼も薄暗い崖の辺りからは源を遠く五里の山奥の古沼に発した堂々たる水勢が勢ひ余つて滝と溢れたかの如く、不断にきらびやかな水煙を放つてゐる態を見出すことが出来る。滝は満々たる水を池に湛へて、舟を浮べ、水鳥を遊ばせ、期節になると雁を呼ぶ――池の水は更に庭の中へ招び込まれて、床下を鯉が泳ぐ泉水となつて離れの茶屋から書院の窓下を流れ饗宴の広間の前に来て悠やかな渦を巻いてゐる。放飼ひに慣れた一番《ひとつが》ひの丹頂が悠々と泉水の合間に遊び、橋を渡つて築山の亭《ちん》のほとりで居眠りをしたり、翼を伸して梢に駆り空に呼応の叫びを挙げたりしてゐる。書院の裏手にあたる中二階造りの納戸部屋から蔵前に至る径は凡そ十間あまりの長廊下が泉水の末端を跨いで掛け渡され、現在でも廊下の往来には昔ながらの朱塗の雪洞を翳してゐた。「南方の騎士」達は、登山用のロープを用ひて塀側の木枝から蔵の裏手に降りると、鶴の舎《こや》の蔭に身を潜めて、納戸の窓から合図する百合子の雪洞の揺れ具合に従つて仕事に取りかゝるのを順序としてゐた。納戸から三階になつて屋根裏の一角に達する階段を登り詰めると、草葺を四角に凡そ一坪程に切り展いた封建時代の展望台に達する。武一は此処を鳩舎に用ひてゐた。若しも彼等の潜入に不首尾の日には、百合子は此処に赤旗を掲げた。旗は鳩の訓練用に使ふものだつたから誰も怪しむ者はない筈であつた。赤旗を見出した日には彼等は、その儘村の道場に赴いて剣術の練習に終り、折好く夕暮時の鳩舎に赤旗の影が見えないとなると一同の者は塚本の鍛冶屋店に引き返して、暮色を待つた後に出発するのであつた。万一の場合を慮つて剣術道具に身を固めて竹刀をひつさげて忍び込むのを常例としてゐた。
「堀口と太一が今迄お酒を飲んでガヤ/\やつてゐたけれど、すつかり寝込んでしまつたからもう大丈夫だわよ。」
納戸の窓から差し出された雪洞の灯が大きな円を描いた。首尾好しとばかりに躍りあがつて乗り込んで行つた夜盗達を、眼下に、百合子が廊下の窓から雪洞を翳して乗り出しながら囁いた。十日ばかり前の薄曇りのした晩で、期節外れの蛍が時たまに瞬いてゐた。洋服の上からひつかけた牡丹色の羽織の袖で灯りのゆらめきを気遣ひながら、顔のまはりをぼんやりと明るくしてゐる百合子の断髪の姿が、あたりの様子と却つて不思議な調和をしてゐる見たいな、絵のやうな奇異の感に打たれて滝本は、茫然と見惚れてゐた。
「うたゝねなんだらう。何時目を醒すか解りやしなからう。」
武一が念を圧すと、百合子は急に豊かな得意さうな微笑を湛へて、
「それがね、大丈夫なのよ。妾が試しに顔に水を吹つかけても身じろぎもしないで二人とも死んだ見たいよ。……ベロナールを粉にして、そつと徳利の中に溶し込んでやつたのよ。それがすつかり利目が廻つてしまつたの!」
と説明した。皆なは百合子の気転に舌を巻いて思はず会心の顔を見合せた。その間に、蔵の前にすゝみ寄つた百合子は、難なく扉を開けながら、未だ廊下の片隅にうろ/\してゐる仲間を促した。そして、一同を中に招じ入れて扉をもとのやうに閉ぢると、
「さあ、もう大丈夫よ。何んな声で話し合つても平気だわ。」
と百合子は雪洞を高く差しあげて、これ位の大きな声を挙げても平気だといふことを披露するために、反響《やまびこ》を面白がる子供のやうに――「こんばんわ!」などゝ叫んだ。それが屋根裏の辺に響いて、こだまとなつた。
蔵の中には、様々な鳥類や獣の剥製が何十個ともなく彼方此方の棚や長持や鎧櫃の上などに処関はず置き並べてあつた。それらのコレクシヨンは百合子等の父親の青年時分からの丹精である。森氏は自家に飼つた動物が斃れると、その姿を剥製にして保存するのが習慣だつた。
鎧櫃の上で、翼を拡げてゐる大鷲は、裏籔の巴旦杏の梢で森氏が十年ばかり前に生捕りにしたものである。大鷲は青大将と格闘して気絶したところを捕獲されて、築山の亭に久しい間飼はれてゐたことを滝本は憶えてゐるが、何時死んだのかは知らなかつた。大黒柱の蔭にたゝずむでゐる一番ひの丹頂は、これは未だに庭先に遊んでゐるのかとばかり滝本は思つてゐたのに、何時の間にか剥製になつてゐた。塀を乗り越へて鶴の舎の傍らに隠れてゐたが、今が今迄滝本はその舎が空屋であつたといふことは知らなかつた。長持の上には何時か武一が飼つたことのある大木兎や、太一郎に打たれたネープの仲間達、それから滝本が、いわれ[#「いわれ」に傍点]を知らぬ一頭の狐が、野兎、山鳥、家鴨、その他様々な家畜頬と無茶苦茶に雑居してゐる。滝本にとても深くなついてゐたセントバーナードの「ジヤツキ」が大きな花瓶の傍らに立つてゐた。滝本は、立ちどまつて思はずジヤツキの頭に手を触れずには居られなかつた。また傍らの鶯の籠をのぞいて見ると、その中には百合子達の亡くなつた母のペツトであつた「タチバナ」が、杖から技へ飛び降りようと身構へてゐた。百合子が子供の頃に飼つた悪戯鸚鵡の「ミンミー」が鹿の角の刀掛けにとまつてゐるかと思ふと、古典版のブリタニカの書棚の前では印度産の大孔雀が、見事に翼を拡げてゐた。これは嘗て森氏が友達の海軍将校から贈られたもので、村に着いた当座は見物人が群がり寄せて大変な騒ぎであつた。
それらの物体の影が、百合子の揺り動かす雪洞に伴れて伸びたり縮んだりした。さうかと思ふと、斯んな金目にならぬガラクタには眼も呉れずに踏み越へて行く夜盗達が、懐中電灯をピカ/\と振り回しながら脚元を照らしたり、隅々を見とゞけたりする毎に、それらの動物が闇の中から稲妻を浴びて飛び出すかのやうに映つた。――彼等は、二階から三階へおし上つて今日こそは最も運び出し憎い重荷を持出さうと決めたのである。
滝本は階段の昇り口で見栄を切つてゐる仁王の像の傍らから、手にする電気の光りを放ちながら動物達の躍動する影を
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