て、
「君の親父は恩知らずだな。」
 いきなり左う怒鳴つた。
「だけど八重は、そんな小間使ひなんて、そんな柄ぢやない、当人が何うしても訊かないんだから……」
 七郎は、まるで芝居のやうな話だ! と思つて、思はず横を向いて笑つてしまつた。恩知らずなどと何を楯に云ふのか七郎は知らなかつたが、八重を、先づ行儀見習ひとして奉公に出し、ゆくゆくは嫁にするかも知れない――なんて云ふ馬鹿/\しい篠谷の申出を真面目に諾ける筈はないと思つてゐた。太一郎の、小間使ひの話に瞞《だま》されて、飛んだ破目におとしいれられた漁場の仲間の者の娘に就いての事件を七郎は知つてゐる。
「やあ、ラツキーが、もう来やがつた。――これから帰りがけに君の家に寄つて行くんだが馬蹄《かなぐつ》は間に合ふかしら?」
 太一郎は、篠谷の下男に引かれて渚を歩いて来る馬を眺めて、また念をおした。
「だから私には解らないと……」
 七郎も其方を眺めながら、
「あれは森さんの馬ぢやないんですか?」と呟いた。
「無論さ。」
 太一郎は得意さうに小鼻を蠢めかせた。「武一の奴が、馬鹿な自惚れを出して、お前んとこの親父の借金証書に判など捺しやがつたから
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