げん》とかゞ……?」
 七郎が梟のやうな眼をして斯う訊ねると、さすがに太一郎はてれた嗤ひを浮べた。
「期間といふのは、つまりその負債の方のことだがね……」
「ぢや八重の話とは別なんぢやないか、そいつを返しさへすれば済むんだらう。」
「それあ済むさ。然し君も実に解らん男だね。既にもう半年も前にその期間はきれて、それで武一が間に入つて騒いでゐるといふ始末なんだよ。」
「ぢや俺は、今月一杯に金は返すよ。何云つてやがんだい。」
 七郎はカツとして思はず怒鳴つた。太一郎が、金と妹とを関連させて云ひ寄つてゐたことがはつきりと解ると、無性に肚が立つて来て勝手にしろと思つた。
 七郎は、大波にもまれる舟の中にゐる時のやうな、激しい感情を辛うじて圧へながら砂を蹴つて其場を立去らうとした。太一郎が、袖をとらへて何か云はうとしてゐたが、聞えもしなかつた――軽く振り払つたつもりだつた腕が、太一郎の肩先に当ると、バネで弾かれたやうに彼は突き飛んで尻持をついた。
 七郎は振り向きもしないで、我家を指して陸へのぼつて行つた。――すると太一郎は、渚にゐる馬方を声を挙げて呼んだ。
「漁師を怒らせてしまつた。彼等は野蛮だから、徒党を組んで逆襲して来るに違ひない。逃げなければならない。」
 彼はラツキーにまたがると、渚に添うて駆け出して行つた。――まつたく、この辺りには篠谷に反感を持つてゐる多くの率直な漁夫がゐて、今も七郎が砂を蹴立てゝ立ち去るのと、相手が太一郎であつたことを認めた網干の連中は仕事を止めて、がや/\と円陣をつくつたところであつた。そして、一目散に遠ざかつて行く太一郎を見ると、一勢にワーツといふ鬨の声を挙げた。その嘲笑の声を追跡と聞き違へて太一郎は夢中でラツキーの腹を蹴つてゐた。
 遥かの松林のスロープから、網干の風景をスケツチしてゐた Authony《オーソニー》 の竹下も、驚いて鉛筆をおいて立ちあがつた。
「塚本君ぢやないか、何うしたんだ?」
 竹下は、鬼のやうな格構で両眼に涙を一杯溜た七郎が松林を脱けて行かうとしてゐる姿を認めて、追ひすがつた。

     八

 武一を先に立て、滝本等三人は、また森の屋敷へ忍び込む途すがらであつた。これは既に幾度目かの夜盗の仕事である。
 一同の物腰態度は稍円熟の境に達して、脚どりと云ひ、咳払ひの具合と云ひ、道往く人に出遇つた時の、何気ない挨拶を交して素知らぬ風を装ふ話振りと云ひ、凡そもう何処にも怯えた気色のない堂々たるロビンフツドの徒党であつた。
 彼等は村の青年団から剣術道具を借り出して竹刀で各自の背に荷ひながら丘を越へた森の村の青年団と試合に赴く風を装つてゐたのである。実際、向ふへ行き着いて見て、森の屋敷の固めを踏み越え損つた時には、其処の村の道場で、堀口や篠谷方の若者を相手に激しい勝負を渡り合つて鬱憤を晴すのが常だつた。此方は遇然にも並《そろ》つた初段級の腕達者ぞろひであつたから、彼等に負《ひけ》をとつた験はなかつた。就中竹下の面取りの早業と村井の刀捌きの目醒しさでは、R村の連中は悉く眼を視張つて、一体彼奴等二人は何処からやつて来た天狗なんだらう。ついぞこの辺りに見たこともない達人ではないか。吾々のチームに若しもあれ位のが二三人居たら何処へでも遠征して近在に覇を唱へてやるんだが――と囁き合つてゐた。この近在では軟式野球よりも遥かに剣道の方が隆盛で、年々春秋のリーグ戦になると村中がその争覇戦に熱狂するといふ有様であつた。
「今夜もお並ひでお出かけですかね。この分では秋のペナントはH村のものだといふ評判ですから、まあ精々練習して来て下さい。」
「R村でも負ん気で、毎晩の練習時間を十時まで繰りあげたさうですぜ。」
 すれ交《ちが》つた野良帰りの人達が彼等の姿を見ると、頼もしさうにして斯んな言葉を掛けた。
 やあ/\! など、晴々しさうに手を振つて行き過ぎるが、此方にとつてはそれどころではなかつた。――以前滝本はあの海辺の家にあつた実生活に要のない様々な道具類などを、間もなく彼処を引きあげるつもりだつたので武一に謀つて、森の家の土蔵に預けて置いたのであるが、今やこれを再び持ち出して売却しなければならなかつた。翌月になればもうローラが到着するといふのに滝本の生活の方針は恰で有耶無耶だつた。武一も亦、就職の目当がつかずこの先百合子を保護するためには、何うせもう父親が顧みてゐない蔵の中の巻物とか金銀とかを運び出して兄妹の上京後の当分の生活費に運用しなければならない破目だつた。土蔵は篠谷の手に依つて個人的に封印されてゐる状態だつたから、この行為は或種の犯罪に相違なかつた。その上また滝本に就いては、それらのものに至るまでの所有権云々に関して堀口剛太が邪な監視の眼を輝かせてゐるので、何うしても彼等は夜盗の手段を執るより他
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