た。その手の先は微かに震へてゐた。極彩色の、現実離れのした綺麗な男女の滑稽な痴態の有様が村井の繰り展《の》べる巻物の中で行列を成してゐた。
「つまらない――」
 と滝本は云つた。滝本は、斯る類ひの草紙は、余程予猶のある場合に美術的に鑑賞する以外には、興味もなかつたので、静かに村井の腕を引いて、母家へ促した。
「先程《さつき》俺達が此処へ来て見ると、これが――」
 と村井は尚も未練がましく、散乱した草紙類を振り返りながら「このまゝ、此処に行灯の下に展げ放しにしてあるんだよ。つい先程まで確に誰かゞ眺めてゐたに違ひないといふ風に、……」
 彼は、恰で酒にでも酔つてゐるかのやうに常規を脱《はづ》れた声の調子だつた。「それあ、お前、誰だと思ふ、いや、誰が、此処で、これを眺めてゐたと思ふ?」
「そんな事何うでも好いぢやないか。お前は大分何うかしてゐるぞ、馬鹿だな!」
 滝本は、仕末の悪い酔つ払ひをあしらひ兼ねるように手古《てこ》ずつた。
「あゝ、俺は実に悩ましい、この次に此処に踏み込む俺の唯一の目的は、あゝしてあの行灯の下で……」
 そんなことを唸つて恰で生体ないかのやうな酔つ払ひ見たいな村井を滝本が漸く引つ張つて、渡り廊下の処まで来ると、雪洞をかゝげて飛んで来た百合子に突き当つた。
「まあ、あんた達は何を愚図々々してゐたのよ。皆なが待つてゐるのに――」
 すると村井は、酷く狼狽して、
「いゝえ、あの……珍らしい剥製があんまり沢山あるので――」
 などと吃音で紛《ごま》かした。あまり村井の様子が生真面目なので、滝本も却つててれ[#「てれ」に傍点]臭くなつてしまつて、
「東京へ行く時にはあのミンミーを籠ごと持つて行かうぢやないか、アパートの装飾に丁度好いぜ。」と、幾分後暗い見たいな思ひを秘しながら空呆けると、いきなり百合子は、
「嘘つき!」
 と叫んで、晴々しく嗤つた。そして、非常に大きな声で、
「いやあな人達! あんな絵を夢中になつて見てゐるなんて……ハツハツハ!」
 左う云つて腹を抱へながら駆け出して行つてしまつた。
 滝本は得体の知れぬ不安に襲はれた。と、村井が、太い吐息と一処に「困つたな、守夫……」と、これも、真ツ赤になつて、出そびれてゐた。
「今日は一晩中騒いでやれ。家もそともあるものか。おーい、お勝手の者――ほんとうの酒を持つて来て呉れ。主人がお客様を伴れて帰つて来た
前へ 次へ
全53ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング