影に煙りのやうに翻りながら汀の廻廊を折れ曲つて見る/\うちに闇の中へ吸ひ込まれて行つた。――自分に気づいて見ると滝本は未だちやんと剣術道具に身を固めて、面を被つてゐたから、その鉄格子を透して眺めるせいか、稍ともすると一つの物のかたちが二つにも三つにもなつてチラチラした。彼は竹刀を小脇にして欄干に脚を掛けたまゝ、暗闇の中で百合子の復命を待つてゐた。
五分、十分……と凡そ二十分近くも待たされたかと思はれる頃ほひ、其処から恰度泉水を越へて真向にあたる遥かの部屋が、突然ぱツと明るくなつた。丸窓のある――「あれは百合子の部屋ぢやないか」と滝本が呟いた時、向ふの端から順々の座敷に一勢に灯が燭《とも》つて、直ぐ眼の先の茶室までが急に明るくなつた。滝本は思はず身を退いて、書院の中へ秘れた。彼は激しい鼓動に襲はれながら、竹刀の束に手をかけてゐた。――と、また座敷中の灯りは一|時《どき》にスヰツチを切られて、丸窓だけが大提灯の様に向方の闇の中に浮んでゐた。
窓から姿を現したのは百合子だつた。
「もう誰もゐないのよ。――あの人達二人は急に気分が悪くなつてとつくに帰つてしまつたんですつて――葡萄酒を見つけたから皆なを招んで頂戴な。」
で滝本が蔵中へとつて返さうと、渡り廊下のところまで来ると、あまり此方が時間をとつたことを案じて武一達も降りて来たところだつた。武一は、袋に入つた薙刀を担いでゐた。そして、
「こいつは、何とかいふ古刀で、柄の処々に金などが巻いてあるから相当なものだらうと思つて持ち出して来たよ。竹下の箱は白磁の観音の像だ。落すと割れてしまふから――」と、後の竹下を振り返つたのを滝本が見ると、彼は長さ三尺ばかりの大きさの箱を縦に、子供を背《せほ》ふたやうに十文字に細紐で背中にくゝりつけてゐた。
「村井は?」
「……あいつは錦絵に見惚れてゐて動かうともしない。呼んで来て呉れ。」滝本が蔵の三階へ上つて行くと、村井は行灯の傍らで、面も何も脱ぎ棄てゝ、素晴しい興奮の眼を輝かせてゐたが、足音を耳にすると、慌てゝ灯りを吹き消した。
「俺だよ、村井! 何うしたんだ?」
滝本は懐中電灯をつきつけた。
「百合さんぢやないかと思つて吃驚したんだ。――おい、この猛烈な絵を見ろよ。……驚いたなあ!」
――グロテスクな戯画の巻物だつた。村井は、滝本の眼の先でそれらの巻物の数々を手早く繰り展げて行つ
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