たり、「乾盃の唄」を合唱したりした。――竹下は、皆なの顔をスケツチして、誰を、ロビンにし、誰をウヰール、また誰をセント・ジヨーンにしようか? などと、はじめは冗談めかしく云つてゐたが、いつの間にか無気になつて、
「滝本だとか、村井だとかと、これまでの名前で呼び合ふのは既成観念につきまとはれて面白くないから、これから、何か別の名称を吾々の代名詞としようぢやないか。少くとも、この生活の圏内では――」
 などと途方もない提言を持出した。
「名前ばかりでなく、言葉もつくらう。ガリバー旅行記の小人国や大人国の言葉を参考にして、よしツ、そいつは一ト月のうちに俺が拵へるよ、先づ幾通りかの暗号を――」
 と森が讚同すると、村井も膝を打つて、
「俺は、この附近の地理を験べてから、俺達にとつてだけ所用な個所に古代アテナイの花の名前を引用した符号をつけよう。」
 と調子づいた。
 少しばかりのビールの酔で皆なが他合もないロマンチストになつてゐたところへ、裏の滝本の部屋の窓を注意深く叩く音が滝本にだけ聞へた。と彼は弾かれたやうに飛び出して行つた。
 ――「これを森さんから頼まれて来ました。」
 見知らぬ若者が、声を秘めてさう云ひながら、小型のバスケツトを一つ滝本に渡すがいなや、返事も待たずに忍び去つた。
「百合子が来たのか?」
「違ふ。こんなものが届いた。」
 滝本が、皆なの凝視を集めてゐるバスケツトを卓子《テーブル》の上で開くと、一羽の鳩が入つてゐた。
「おやツ、これは俺の鳩ぢやないか!」
 森は思はず叫び声をあげると同時に、懐しさに堪へられぬ眼《まなこ》で小鳥を掌の上にとり出すと、翼に頬を寄せた。――「好く生きてゐたものだな!」
 彼の眼には不図涙が溜つた。――それは、彼が我家にゐる頃飼育してゐた伝書鳩の一員だつた。
 手紙を、滝本は籠の底に見出した。勿論百合子からの手紙だつた。
 ――あの時何気なく帰つたら、父が不在で堀口が日夜滞在してゐる、父から書類の整理を依頼された由である、継母は何故か私の行動に就いて凡《あら》ゆる監視の眼をそばだてゝゐながら、表面では寧ろ気嫌をとつてゐる、何故に私がそんなに必要なのか解らないが、外へ出ようとでもすると母と堀口とで威嚇の気色さへ示して絶対に許さない、同時に異様な生活を見出してゐるのであるが、それは会つた時に話した方が好いと思へたら話す――といふや
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