背後の丘を見あげると、花見へ赴く人達が提灯を振り翳しながら参々伍々隊をつくつて降つて来る。百合子の家も、その丘の向ひ側であつた。
丘を降つた人人は滝本の家の庭先から見える街道に達すると、恰度、花道にさしかゝつたやうに身づくろひを改めて、意気揚々と河堤を指して行くのであつた。
その晩も滝本は、人の出盛る時刻になると庭先に出て、木陰から街道を眺めてゐた。
ボール紙の鎧甲に身を固めた厳めしい武士が、馬に乗つて行つた。恋人と腕を組んで打ちはしやぎながら行く女装の若者もあつた。奴の行列もあつた。金棒引の木遣も聞えた。ピエロオもゐた。楯をふり翳した騎士もゐた。蛇の目の傘《からかさ》を構へて偉さうに見得を切つて行く定九朗の顔を注意して見ると、B村の水車小屋の主であつた。八重垣姫に扮した鍛冶屋の娘が、馬車から下りるのを見た。
逃げ出す機会を奪はれた百合子は、この夜桜の晩を待つてゐたに違ひない――と滝本は想像したのである。
それにしても何んな変装を凝して百合子が現れるだらう? と思ひながら一心に彼が行列を見守つてゐた時、森さんから電話である――と年寄に呼ばれた。
「俺だよ。今、停車場に着いたところなんだが――」
百合子の兄の武一だつた。竹下と村井を一処に伴つて来たのだが、人通りが余り多くて歩き憎いから遅くなつて其方へ行かうと思ふ、それまでこの辺のカフエーでゞも時を消したい、話が沢山あるから迎へに来ないか――といふのであつた。竹下は画、そして村井は小説を志ざしてゐる森と滝本の共通の友達だつた。
滝本は、百合子とのいきさつを最も簡単な言葉で伝へた後に、今にも来るであらうと待ち構へてゐるところだから行き憎いと断ると、では俺達も仮面《めん》でもかむつてお花見の堤を通り抜けて行かう――と云つた。
もう一辺庭先に出て見ると、もう大方花見の行列も出尽してしまつて、遥かの田甫道を煉つて行く炬火《たいまつ》や提灯の火が、海の上の漁火のやうに揺れながら遠のいて行つた。月光を浴びた菜畑が白く、ちらちらと波のやうに映つた。
――「お――い、守夫、見えるぞ。」
あれは竹下だと滝本は声の方を振り向いた。
「そんなところで、変装をして逃げ出して来るお姫様を待つてゐるなんて、図々しいぞ。」
村井の野次で、滝本も思はず笑ひ出してしまつた。――滝本は声の方へ駆け降りて行つた。
「やあ/\!」――
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