等の私から享けてゐる不愉快さなどは知らん振りをして、
「どうでえ、うまく当つたらう。」などと、小鼻をうごめかせながらにたにたした。
「何さ……」
 さう云つて良子は、ツンと横を向いた、淫猥な親父を嫌ふ小娘のやうに、冷たく振り払つた。……厭に突ンがつた鼻だな、さつき思つたことは、ありやみんな嘘なんだ、嫌ひだよお前なんぞは! 余ツ程、自惚れも強いらしいな、チヨツ……私は、その取り済した白々しい鼻に、今日はまた夥しく胸の気持が悪い吐息をハアツと吐き掛けたら、どんな顔をするだらう――そんな途方もない光景を想像したりした。
「どうだね?」
「…………」
「良ちやんの横顔には、何か美しい……」
「まア……」
 ほらほら、一寸と讚めると直ぐにあれ[#「あれ」に傍点]だうつかり傍へ来ると危いぞ――私、は気持の悪い胸をさすつてゐた。
「チエツ……」と、周子が強く舌を鳴らしたのに私は、酷く胸を打たれた。周子が其処にゐたのを私は、忘れてゐたやうだつた。彼女は、私の心が甘く良子に走つてゐるといふ風に認めてヒステリツクな眼つきをした。瞬間的ではあるが罪を打たれたやうな気合に私は、酷くどぎまぎして――素知らぬ風をして、
「あゝ、どうも気分が悪くつて困つた。」と、急に陰鬱らしく呟いで、今の醜い発作的の滑達さを消した。そして、手の平に息を吹きかけて、
「くさくはないかな、口が?」と、云つて周子を見た。
「…………」
「憤るなよ、自分のことを云つてゐたんだよ、誰が、失敬な! 他人のことをそんな風に思つたりするものかね、健康な人にはそんな不安なんてある筈はないよ。」
「だから、あたし達は平気よ。」
「だからさア……」と、私は、二人の顔を等分に見渡して、だらしなく己れの言葉を否定した。……「自分では、解らないものなんだが、これ位ひ気分の悪い時には、多少自分にも解るんだ、斯うしてゐると――」
 私は、病人のやうに弱々しい声でそんなことを呟いた。
 さう云つても彼女等は、未だ互ひにムツとして頑固に反ツ方を向いてゐた。二人とも唇を屹と結んで、肩のあたりで静かに息をしてゐた。――私が、その様子を見てゐると彼女等は、
「何でも好いから此方を向かないようにしておくれよ。喋舌りたければ、そつちを向いて勝手に独りで喋舌つてゐたら好いぢやないか、お前の云ふこと位ひ何んなに毒々しからうと何だつて、誰がそんなことを気になんてするものかね、好い気になつてゐるよ、馬鹿! 此方を向いて何か喋舌られると、息がくさくつて堪らないんだよ。だから横を向いてゐるんだよ。――他人と話をしたければ、さつさと嗽ひでもして来るが好い!」
 そんなことを呟いてでもゐるかのやうに疑はれた。……いつか母が鼻をつまんで横を向いたのも、あれもまつたくのてれかくしの動作でもなかつたのかも知れないぞ――私は、水底に潜つて行くやうな寂しい惨めな思ひに打たれた。……そして、今更のやうに周子の、この間うちのあの忠実さに取り組るやうに親んだ。
 そこに良子の居るのが邪魔だつた。――でも、さつきからそんな話が話題になつてゐたところだから関はないだらう――さう気づくと私は、一刻も猶予して濁られない程に苛々して、関はず周子に近寄ると勢急に
「どう?」と、判断を待つた。周子は、一寸と良子に気を配る身振りをしながら、仕方がなさゝうに此方を向いて苦笑した。私は、嬉しく救はれる思ひがした。――そして、いつものやうな長太息を試みた。
「フ……」と、周子は、肩で笑つた。
「どうよ?」
「うむ。」
「どうだ?」
 妙に周子の態度が煮えきらないので私は、稍々鋭く追求した。すると周子は、ウツと息を切つて、薄ら笑ひを浮べながら、
「あたし白状するとね……」と云ひかけて、この人はさつき自分が良子と話してゐたことを聞いてゐなかつたのかしら? といふ風に良子を振り返つて眼を見合せてゐた。二人の友達が此方には少しも解らない暗号みたいな言葉で話しあつてゐるのを傍で聞いてゐる時のやうな私は厭な気がした。
「何よ?」
「悪いのかしら、あたしは? 良ちやん。」
「でも……」と、良子も苦笑した。
「何がよ。」と、私は叫んだ。
「それや、あたしだつて少しは気がとがめてはゐたんだが……あたし一辺もあなたの口の前で息を吸ひ込んだことはないのよ、今まで! 何時でも、その間は息をしなかつたわ、随分苦しいことなんだが。だつて厭だと云つては、何だかあなたに悪い気がしたし、それより他に方法がなかつたんだもの……」
 はじめは苦笑しながらだつたが、だんだんに彼女の声は泣き笑ひのやうな震えを帯びて来た。「……あやまるわ。これは何時までも黙つてゐなければならないと思つてゐたんだけれど……何だか、あなたが、だんだん真面目になつて来るのが……でも、どうしても、どうしても、厭だ/\/\……」
「……」
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