遊びをするやうになつた。(一体彼は、子供好きだつた。後に小児科医となつて相当に成功した。今は亡い。)
 その私達の遊びは、技巧が自然に複雑になつた。私を何よりも悦ばせるやうになつた。
「よしツ、ぢや、今度は俺だ。」
 彼は、さう云つてハアツと私の鼻に息を浴せるのであつた。(尤も私は、嗅いだ真似をするだけだつた。叔父の口は、ほんたうに臭さうな気がして私は、一度も彼の鼻の前で息を吸ひ込んだことはなかつた。)
「ウツ、やられた。」
 私は、その前の彼の真似をして、さう叫ぶと同時にばつたりと倒れた。倒れてゐても私の胸は、面白さにわくわくとしてゐた。
「ふゝん、死んでしまつたな。――はて口程にもねえ、意久地のねえ野郎だなア。」
 芝居通の叔父は、そんな声色をつかつた。それから種々と面白気なことを呟いでから、
「どれ/\、この儘にして置くのも可愛想だ、一つ日本一の大先生が注射を施してやることにしやうかのう。」など云ひながら彼は、指先きで私の何処でもを「チクリ。」と突くのであつた。すると私は、
「アツ!」と、云つて蘇生した。
 絵を描いて貰うこと、お伽噺をして貰ふこと、汽車ごつこをすること――一通りの遊びに私達は飽きてゐた。彼の引き籠つてゐた間はそれ程永かつた。――この新しい遊びは、次第に発展して自ずと様々な不文律が生ずるやうになつた。即ち、一度び気絶したならば如何なることがあらうとも注射を施されぬ前には決して眼を開かざること。――必ず相手の隙を見計つて行ふこと。――乗ぜられたならば剣道に於ける勝敗の如く有無なきこと。立所に気絶すべきこと。――注射は相手の絶対の好意に待つこと。――名乗り合つて勝負をするのではなく何時如何なる場合であらうとも隙さへあれば乗ずべきこと、故に常に戦闘準備の必要なこと――等、外に数種。
 別段相計つて決めたわけではなかつたが、斯様な掟が生じて、私達がそれを堅く守ることで一層私の興味が増してゐた。だから私達は、呑気な会話を取り換してゐる間でも常に油断なく相手の毒気に気を配つてゐなければならなかつた。
「ウツ、やられた。」
 叔父の隙に乗じて私が、ハツと毒気を吐きかけると彼は、さも/\残念さうに斯う叫んで(これも規則の一つである。)、ヒクヒクと息を引き取るのであつた。その動作も彼は、時に応じて様々に演じた。或る時は、山崎街道で玉を喰つた定九郎もどきに、クルクルと堂々回りをした後にバツタリと虚空を掴んで悶絶した。源三位頼政の矢羽根に打たれた化物となつて上向けに打ち倒れた。幡随院長兵衛の風呂場の最後もあつた。岩見重太郎の武勇伝の一節もあつた。また反対の時にも同じく彼は、熊になつて、倒れた人の香りを嗅いで見たり、八頭の大蛇が酒糟に近寄る時の口つきをしたり、沼の主を退治したクリステンダムの勇士になつて凱歌を挙げることもあつた。
 私は、勝負事が嫌ひだつたが、彼は好きで(碁も将棋も初段で平常は多くの仲間があつたが、斯うなると彼等に尋ねられることを怖れて不在を装ふてゐた。)時々、腹逼ひになつて私に軍人将棋をすゝめたり、トランプの手合せを求めたりした。
 途中から気が乗り出すと彼は、思はず坐り直つて熱心に駒をすゝめた。私は、何時でも到底敵はなかつた。敗けさうになると私は、不法なズルを敢てした。すると彼は、一寸と無気になつて、
「ズルをしては駄目だよ、やり直せ/\。」と迫つた。私が、軽い恐怖を感ずる程の強さで私の手を払つた。
「えゝツ面倒臭いや、こんなもの。」
 私は、口惜し紛れに涙ぐんで駒を投げ出した。
「何だ失敬な。」と彼は無気な表情をした。斯うなれば平常なら私は、もうワツと泣き出すに違ひない、いや、この時も実際それに近い顔つきになつて、
「もう、止《よ》うした。」と云つた。
「負け逃げか、卑怯だな、それとも兜を脱いだのかね……いや、ぢやその一辺だけは許してやるから、さア来い。」と彼は、ほんとうに未練らしく、だが巧みに私の気嫌をとつた。そして彼が、無理矢理に私に駒を握らせようとした時――私は、矢庭に身を躍らせて、
「ハツ!」と、勢ひ好く彼の鼻を眼がけて毒気を放つた。と、彼は、真に迫つた動作で、
「アツ、やられた、残念……」と叫んで、徐ろに上向けに倒れた。彼は、私が時々画を頼んだことのある日清戦争中の人気者であつた「勇敢なるラツパ卒の討死」の光景を、活人画にして私の眼前に髣髴させた。
 私は、その活人画は黙殺して、天上の悪魔を打ち倒した時の「豆の木のジヤツク」の心を心として、悠々と、剣を鞘に収める真似をして、彼が息を引き取るのを見降しながら、
「他愛もなく片附けてしまつた。あゝ、胸が清々とした。――生き返らせるとまた煩いから暫くこの儘にしておかう。」と、憎々しく云ひ棄てゝその場を立ち去つた。
「仲が善いね、お前達は――。また絵でもか
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