いて貰つてゐたの、叔父さんに?」
 私が妙な微笑を浮べて戻つて来たのを眺めて祖母は、感心してゐた。私は、たゞ何気なく点頭いてゐた。――私達があんな馬鹿/\しい遊びをしてゐるといふことは私は、到底他の人には話せなかつたので、勿論家中の誰も知らなかつた。それが、一層私の愉快な夢に奇怪な生気を与へてゐた。
 私は、意地悪るをする友達などに出遇ふと、ついこの間までは癇癪に触ると到底力では敵はないことは解つてゐても我無しやらに組みついて行つたが、何時の間にかあの空想で腹を肥し、不遜な自尊心を育くみ、秘かにあの夢を想ひ描いて満足した。――そして、またそんな恍惚の夢から醒めると私は、沁々と平凡な人間であることを嘆いた。多くのお伽噺の勇士の身を、まざまざと羨望して鬱陶しがつた。
 暫く祖母を相手に話し込んでゐるうちに私は、叔父のことを忘れてゐたのに気がつき、祖母の前は何気なさを装ひ、胸を躍らせて彼の部屋に来て見ると、彼は依然とした先刻の姿の儘で、昼間でも半分雨戸の降されてゐる部屋に打ち倒れてゐた。
 私が、にや/\と会心の微笑を湛へながら彼の顔をのぞき込むと彼は、切に注射を待つが如くに痛々しく眉を動かせた。
「いえ/\、その処方なるものが非常に難かしう御坐います。――一粒はよく不治の難病を治し、二粒は以て悪鬼を殺し、三粒は即ち天の雲を掌に招んで飛雲に駆けることが出来るといふ名薬には相違御坐いませんが、材料を得るのに一寸と骨が折れるので御坐いましてな……」などゝ私は、いつの間にかすつかり暗誦してゐる叔父の創作に依る出鱈目の科白を、ませた口調で述べ立てながら飽くまでも相手をもどかしがらせた。はつきり意味などは解らない文字でも私は、その口調や節のつけ方を小坊主のやうにまる覚えしてゐたのである。
「…………」
「あゝ、私のこの困難苦渋は何に喩えたならば宜しう御坐いませう。もとよりこれは神仙に授つた名薬には相違御坐いませんが、神は私の忍耐の力を験さるゝ御意か? たゞ薬の名前だけしかお授けになりませんでした。私は、十年の星霜を費して漸く材料の何であるかを発見いたしました。」
「…………」
「名称は、名づけて烏《ウ》金丸と申します。私の不断の研究の結果に依つて製法を見出しました。即ち、巴豆の細末と大黄の一両宛に鍋臍灰を混じて、是を白馬の尿と、さうして、未だ地上の何物にも触れぬ前の天の雨水を層雲の彼方で受けた無根水とをもつて練り固めるので御坐います。――ところが余の物は大概集りましたが、老兄も知らるゝ通り私達がこの国に入つて以来、私達は未だ一度も慈雨の恵みを享けてゐないぢやありませんか! で、無根水を得る術がありません。」
「…………」
「いや、だがもう御心配は御無用です。老兄の回生は全くわたくしの掌中に帰しました。――私は、只今、鵬に身を化し、十万里の雲程を駆け回り、漸く一滴の無根水を得て立ち帰つたところで御坐います。これで一粒の烏金丸と共に、老兄の命は再び吾々の手に帰しました。いざ、一休みいたして――」
「…………」
「烏金丸の調合に取り掛るといたしませう。」
 そんなことを云ひながら私は、のろのろと叔父の薬戸棚の前に進んで、二三の薬品を秤にかけたり、乳鉢をかき回したりして、仰々しく一粒の丸薬を拵え(手真似)あげた。私は、これを患者に服ませ、
「チクリ。」と云つて、頬を突いた。
 同時に彼は、ぴかりと眼を視開いて、巧みにあたりをきよろ/\と見回した。
「あゝ、酷い目に遇つた。」
「うまく、やられたらう。」
「俺、ほんとうに少し眠つてしまつたよ。」
「さうかね。」と、私は得意さうに悦んだ。
「この次から、あまり長い間|放《ほう》つておくことは無し[#「無し」に傍点]にしようじやないか?」と彼は、真顔で卑怯な相談を持ちかけた。
「阿母さんは、出かけたの?」
「今朝早く――」と、周子は点頭いた。
 私達が何処にも出掛けないといふので母は、毎年夏には一度は二郎と一処に旅行をするのが慣ひだつたが父が死んで以来ずつと遠慮してゐたので、前の日に私が留守を引きうけることを約束し、だから出発したのに、私は何となく意外な眼を輝かせた。母は、修善寺の温泉へ行くと云つてゐた。
「留守となると、また退屈……」
「何を云つてゐるのさ!」
「馬鹿/\しい。」
 以前には私は、何時も進んで留守を引きうけたのであるが、今では如何程神妙に待たうとも何処からも家賃一つ入つて来ないのか――私は、「馬鹿/\しさ」を従来の習慣通りに斯様なありふれた不良性で裏づけたが、何か斯る野卑な不満以外に、晴れざる不味さが喉にからむ思ひがした。
 ……どうして俺は、またあんな昔の叔父の発狂後の罵声などを白々しく思ひ出したりしたのだらう、あの遊びのことならば近頃自分が斯んな状態に居て、主に口臭などに囚はれてゐるの
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