するものかね、好い気になつてゐるよ、馬鹿! 此方を向いて何か喋舌られると、息がくさくつて堪らないんだよ。だから横を向いてゐるんだよ。――他人と話をしたければ、さつさと嗽ひでもして来るが好い!」
そんなことを呟いてでもゐるかのやうに疑はれた。……いつか母が鼻をつまんで横を向いたのも、あれもまつたくのてれかくしの動作でもなかつたのかも知れないぞ――私は、水底に潜つて行くやうな寂しい惨めな思ひに打たれた。……そして、今更のやうに周子の、この間うちのあの忠実さに取り組るやうに親んだ。
そこに良子の居るのが邪魔だつた。――でも、さつきからそんな話が話題になつてゐたところだから関はないだらう――さう気づくと私は、一刻も猶予して濁られない程に苛々して、関はず周子に近寄ると勢急に
「どう?」と、判断を待つた。周子は、一寸と良子に気を配る身振りをしながら、仕方がなさゝうに此方を向いて苦笑した。私は、嬉しく救はれる思ひがした。――そして、いつものやうな長太息を試みた。
「フ……」と、周子は、肩で笑つた。
「どうよ?」
「うむ。」
「どうだ?」
妙に周子の態度が煮えきらないので私は、稍々鋭く追求した。すると周子は、ウツと息を切つて、薄ら笑ひを浮べながら、
「あたし白状するとね……」と云ひかけて、この人はさつき自分が良子と話してゐたことを聞いてゐなかつたのかしら? といふ風に良子を振り返つて眼を見合せてゐた。二人の友達が此方には少しも解らない暗号みたいな言葉で話しあつてゐるのを傍で聞いてゐる時のやうな私は厭な気がした。
「何よ?」
「悪いのかしら、あたしは? 良ちやん。」
「でも……」と、良子も苦笑した。
「何がよ。」と、私は叫んだ。
「それや、あたしだつて少しは気がとがめてはゐたんだが……あたし一辺もあなたの口の前で息を吸ひ込んだことはないのよ、今まで! 何時でも、その間は息をしなかつたわ、随分苦しいことなんだが。だつて厭だと云つては、何だかあなたに悪い気がしたし、それより他に方法がなかつたんだもの……」
はじめは苦笑しながらだつたが、だんだんに彼女の声は泣き笑ひのやうな震えを帯びて来た。「……あやまるわ。これは何時までも黙つてゐなければならないと思つてゐたんだけれど……何だか、あなたが、だんだん真面目になつて来るのが……でも、どうしても、どうしても、厭だ/\/\……」
「……」
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