ルと堂々回りをした後にバツタリと虚空を掴んで悶絶した。源三位頼政の矢羽根に打たれた化物となつて上向けに打ち倒れた。幡随院長兵衛の風呂場の最後もあつた。岩見重太郎の武勇伝の一節もあつた。また反対の時にも同じく彼は、熊になつて、倒れた人の香りを嗅いで見たり、八頭の大蛇が酒糟に近寄る時の口つきをしたり、沼の主を退治したクリステンダムの勇士になつて凱歌を挙げることもあつた。
 私は、勝負事が嫌ひだつたが、彼は好きで(碁も将棋も初段で平常は多くの仲間があつたが、斯うなると彼等に尋ねられることを怖れて不在を装ふてゐた。)時々、腹逼ひになつて私に軍人将棋をすゝめたり、トランプの手合せを求めたりした。
 途中から気が乗り出すと彼は、思はず坐り直つて熱心に駒をすゝめた。私は、何時でも到底敵はなかつた。敗けさうになると私は、不法なズルを敢てした。すると彼は、一寸と無気になつて、
「ズルをしては駄目だよ、やり直せ/\。」と迫つた。私が、軽い恐怖を感ずる程の強さで私の手を払つた。
「えゝツ面倒臭いや、こんなもの。」
 私は、口惜し紛れに涙ぐんで駒を投げ出した。
「何だ失敬な。」と彼は無気な表情をした。斯うなれば平常なら私は、もうワツと泣き出すに違ひない、いや、この時も実際それに近い顔つきになつて、
「もう、止《よ》うした。」と云つた。
「負け逃げか、卑怯だな、それとも兜を脱いだのかね……いや、ぢやその一辺だけは許してやるから、さア来い。」と彼は、ほんとうに未練らしく、だが巧みに私の気嫌をとつた。そして彼が、無理矢理に私に駒を握らせようとした時――私は、矢庭に身を躍らせて、
「ハツ!」と、勢ひ好く彼の鼻を眼がけて毒気を放つた。と、彼は、真に迫つた動作で、
「アツ、やられた、残念……」と叫んで、徐ろに上向けに倒れた。彼は、私が時々画を頼んだことのある日清戦争中の人気者であつた「勇敢なるラツパ卒の討死」の光景を、活人画にして私の眼前に髣髴させた。
 私は、その活人画は黙殺して、天上の悪魔を打ち倒した時の「豆の木のジヤツク」の心を心として、悠々と、剣を鞘に収める真似をして、彼が息を引き取るのを見降しながら、
「他愛もなく片附けてしまつた。あゝ、胸が清々とした。――生き返らせるとまた煩いから暫くこの儘にしておかう。」と、憎々しく云ひ棄てゝその場を立ち去つた。
「仲が善いね、お前達は――。また絵でもか
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