当人は、思想の福[#「福」に傍点]を祈つてゐるのだと云つてゐたが、私の母以外の人々はそれを詭弁と認めて笑つてゐた。この老人は祖父の時には時々碁打ちに来たが、父とは往来で遇つても挨拶も交さなかつた。父が外国から帰つたといふことを聞き、「ぢや伴天連だらう」と云つて顔を反向けたさうである。職人を雇ふと、帰す時に「疑るわけぢやないが、紛失物でもあるとお互ひに迷惑だから。」と云つて、庭先きへ呼び寄せて帯をとかせるのが習ひだつたさうである。――この人が凝ツと、垣の間から此方を見てゐるのにも私は気附いた。「先生が――」と、私は母に合図した。母は私が生れた頃から、ずつと一ト月に一度宛この人の処に修身講話を聞きに行つてゐた。――母は、狼狽して椽側をかけ降りた。――先生は嘆いてお帰りになられた、と母は、暗然として私に告げた。
「そウうろツたア/\、総おどりだア、総おどり――」
 座敷では今や大乱痴気の態たらくで、一同の者が男女入り乱れて近在農村地方の何かの踊りを演じてゐた。清の倅は双肌を抜いで、先頭で大見得を切つてゐた。父は、その踊りは知らないと見へて独りだけの大胡坐で、
「やア、面白れエ/\!」と叫んで切りに手を打つてゐた。
「気狂ひの寄り合ひだ。」
「まつたく……」と、私は母と一処に呟いだ。
 終ひに彼等一同は遊廓へ繰り込んだ。母は、幼い二郎を伴れて里へ帰つてしまつた。二日経つても父が帰らないので私が、清の家へ行つて見ると父は其処で酒を飲んでゐた。二三日経つて、半紙位ひの大きさの土地の新聞に「愚かなる○○○○」といふ見出しで、名前だけは○○にしてあるが誰が見ても父と解るやうな罵倒が載つてゐた。平常の豪語にも似合はず父は、それが源因でもなからうが当分の間一室に閉ぢ籠つて蒲団を被つてゐた。父にも週期的にさういふ性癖があつた。祖父のことは知らないが父の弟のことなどを考へて見ても、私のそれ[#「それ」に傍点]は父系の遺伝であるらしい。――間もなく父は、近隣の旧交会から除名された。だがその頃にはもう元気を回復してゐて、日本人はもう相手にしないと云つて南洋の殖民事業を計画した。これではまた酷い失敗をした。……近隣の旧人は今はとうに離散してゐるが、どうして私の父だけは失敗の事業ばかりをしながら大した惨めにも陥らずに一代を送り得たか! いや、そのお蔭で、
「あそこの家も、今では一体何処に住んでゐる
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