生活を吹き込んだつもりだつたが、他合もないことで斯んなにも空々しく逆戻りしてしまふのかしら? と寧ろ不思議さうに首を傾けずには居られなかつた。畢竟、自分の罪だとおもつた。――眞實隱岐が、何も今更彼女等の行動を、皮肉や曲つた眼つきで眺めてゐるわけではなかつたのだ。うつかり批難めいたやうなことでも口にすると(少々隱岐のそれも毒々しくなるのであつたが――)特に近頃は彌生も細君も默つては居ずに、忽ち氣狂のやうに喰つてかゝつた。
「偉さうなことを云ひなさんなよ。あたしは何でも知つてゐるんだよ。お前は、いつか彌あ子に接吻したことがあるんぢやないか。加けに何といふ無責任なはなしだ。」
 細君は短氣を起して、いきなり彼の腕に喰ひついたことがあつた。――もう、それは大分前のことで東京にゐた頃であるが、隱岐は全く遇然の過失から、彌生に接吻だけを犯したことがあつた。
「ごめんよ。」
 とその時彼は、あやまつた。彌生は彼の膝に突伏して泣いてゐた。そして、夢中さうに首をうなづいてゐた。
 それきり、その後は、手を觸れたためしもなかつた。妻君の言葉に依ると、それ以來彌生の性格が變つたといふのであつた。
「責任とい
前へ 次へ
全31ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング