つきで、何か不敵な魅力を持つてゐるぢやないの。それよりもね、肉體の素晴しさつたらないのよ、女のあたしがつくづく見惚れるほどなんだもの、きめがこまかくて、張りきつてゐて……」
「君とは正反對なんだな。」
 隱岐は、なりが厭に大きいばかりで、ごつごつとした中性のやうな細君を想つて鳥肌になり、凡そ反對らしい蠱媚に滿ちた豐かな色艶の肉體を想像した。
「それあもう恰で――」
 細君はわけもなく淡白に、自尊心などは置き忘れてゐた。
「顏だつて俺は……」
 隱岐は、彈みさうになる言葉つきを慌てゝ控えた。――「眼つきなんかに不思議な落着きを持つてゐるぢやないか。そして相當教養のありさうな不良性で。」
「不良性は感じないわ。そんな感じではない、寧ろ冷たさうな、何でも突つ放してゐる見たいな……」
「どつちでも好いさ。」
 と隱岐は、細君の手前そんな類ひの立入つたはなしを厭つてゐたが、細君はいつまでも微細な觀賞眼を批瀝して、まるでその皮膚は處女を失つた當座でゝもあるかのやうな沾みに富んでゐるとかなどゝ、口を極めて、益々自分の女らしさを忘れてゐた。
 冬らしくもない暖い晩がつづいてゐた。その上にストーヴなどを焚いてゐる部屋にゐると、温泉にでもつかつてゐるかのやうに蒸々として、汗が滲みさうだつた。――不圖隱岐がうしろの壁を見ると、何うして持ち出して來たものか訊きもしなかつたが、あの毛皮の外套が獲物のやうにうやうやしく懸つてゐた。彼女等の好氣嫌は、どうやらその獲物に依るらしかつた。
「やあ子つたら、バカよ――すつかり悦んぢやつて、まるつきり何にも着ないで、いきなりこれにくるまつてゐるのよ。今日などいちんち、そのまゝごろごろしてゐるのさ。體ぢうにタルカンを振りまいて、ふわりとこれをひつかけてゐると、とてもうつとりとしちやふんだつて!」
「折角、持つて來たんなら、そんな亂暴な着方をしては臺なしになつてしまふだらうに。他所行きに……」
 隱岐が云ひかけると、忽ち細君は嶮し氣な調子になつて、
「他所行きに使へるやうに、他のものもそろへて貰ひたいものだわ――」
 とさへぎつた。「何うせ駄目なんだから、滅茶苦茶にしてしまふのさ。」
「なるほど、それも好からう。」
 隱岐は危くなつたので、
「意味があるよ。」
 などとわらつた。まつたく、マゾー伯爵ではないが、毛裏の外套に包まれた裸女の皮膚や動作を想像することは、仲仲[#「仲仲」はママ]の意味がある――と彼は胸のうちで呟き、凝つと眼を閉ぢた。
「まあ、厭あね、お姉さんひとりぢやなかつたの、酷いわ――」
 襖の蔭で彌生が頓興な聲をあげた。そして、「外套とつてよ、はやくつたら……」
 などと焦れて、激しい脚踏みの音を鳴り響かせた。
「粉が一杯ついてるわ……」
 細君は外套の肩を掴んで、はたはたと振りまはしながら、彌生へ投げ渡した。タルカムの甘つたるい香りが、部屋一杯に濛々と溢つて、隱岐は身動きもならぬ心地だつた。



        四
 遙かの山々には斑らな雪が見えたが、陽氣は日毎に春のやうに暖かつた。くつきりと冴えた山肌の紫地に、殘雪の痕が翼を擴げて舞ひ立つた鶴のやうに飛び散つてゐた。――隱岐の窓から見渡せる砂濱には、夏の日傘を立てゝ寢轉んでゐる人や、蹴球のあそびに耽つてゐる四五人の若者達が、運動シヤツの姿で飛びまはつてゐた。
 隱岐は、もう好い加滅[#「加滅」はママ]に本を讀むことを切りあげて、ぼつぼつ創作の仕事にとりかゝらうとして苛々しはじめてゐたが、ブロバリンばかりを服み過ぎて眠るので、止め度もなく頭がぼんやりしてゐて、さつぱりと空想力が働いて來なかつた。そして五體は、恰も枯木のやうに干乾びて、風邪の引きつゞきであつた。かあツと頭が熱くなると、急に脚の先から水がおし寄せて來るやうに冷え込んで來て、のべつにくしやみは出るし、鼻水は垂れるし、あまつさへ、レウマチスの氣味でもあるのか、腰骨や膝がしらが螺線のやうにしびれてゐて、全く埒もない有樣であつた。腹には懷爐などをあてゝ、木像のやうに坐つてゐたが、歩かうともするのには杖がほしいほどだつた。
 酷く六ヶしい顏をして彼が、海邊の方を眺めてゐると、彌生が口笛を吹きながら廊下をまはつて來て、窓先の縁側に置いてある布椅子に寢ると、
「日光浴に出たいんだけれど、人がゐるんで困つてしまつたわ。」
 と呟いた。パジヤマのパンツを穿いた長い脚を、恰度隱岐の眼上に組んで、桃色のスリツパをつつかけた一方の爪先を、天井を蹴るやうに動かせてゐた。
「姉さんは?」
「頭が痛くつて起きられないんだつて。―― menses なんだらう。」
「――日光浴は病人がすることぢやないか。」
「うつかり出任せなことを云つたら、婆さんたら本氣にしちやつて、お天氣が好いと屹度起しに來るのよ。――お孃樣お起き遊
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