か。――嫌ひだ。道樂をするならするで、凡てを放擲して、飽くまでも自分の思ひを通して見せるつていふ一貫したものが無い。あたしなんか、生活のことなんかに就いては、何もびく/\してはゐないわ。何時破壞されたつて、ちやんとやつて行ける自信があるわ。あたしはね、返つて、この人が滅茶苦茶なことをやつて呉れる方が、清々とするわ。何方つかずの奴が一番嫌ひさ。」
「戀人でもつくると好いんだよ。」
「さうとも――否應なく崖のふちに追ひやらなければ、いつまで經つたつて埒は明かないといふのさ。女でもこしらへて、うんと酷い目に合されると好いんだ。」
「つまり、姉さんが、あんまり兄さんに忠實過ぎるのがいけないのね。」
「他所の人のやうに、何でも、あなた/\と云つて、亭主にばかり頼つてゐた方が好いのね。なまじ、あたしに強い一面があることが不幸なのよ。――でも、あたし此頃泌々と他所の人が羨しいわ。夫に頼りきつてゐられたら、何んなに樂だらうと思ふわ。自分の女房ぐらゐは、落着かせて置くのが當り前のはなしぢやないかね。あたしなんか斯うやつてゐたつて年柄年中、びく/\してゐて、やりたいと思ふことは何んにも出來やしないしさ――これぢや堪らない。一層、別になつた方が好いと思ふばかりだわ。」
「妻に、そんな類ひの不安を與へるやうな男は死んだ方が増しだわね。」
「――生活! ほんとに、生活のことだけがちやんと出來ないやうな男は、何をやつたつて駄目よ。」
「ヴアイタリテイのない人間ほど醜惡なものはないね。」
 二人は左ういふはなしに走ると夢中になつて、止め度もなかつた。隱岐も全く有無もなかつた。胸が震えるだけで、返す言葉などは一つも浮ばないのであつた。その上、二人の者に、あんな弱點を握られてゐることが敵はなかつた。
「あたし達が、こんなにやきもきしてゐるのが解らないのかしら。聞えないのかしら?」
「圖々しいのよ。」
「あんまり、人を馬鹿にして貰ひたくないわ――此方は何時も眞劍なんだから――」
 默つてゐればゐるで、細君は更に業を煮すのであつた。
「馬鹿になんかしちやゐないよ。」
 と彼は怕る/\呟くより他はなかつた。
「あゝ、焦れつたい。男の考へることまで、あたしは心配しなければならないんだもの。」
 彼女は手細工の道具を力一杯投げつけたりした。どうせ、ものになるやうな腕ではなかつたが、畫でも描いたら少しは了見が廣くなるだらうと隱岐は思ひもしたのであるが、まるで駄目だつた。性根が浮調子で、ひがみ強いのだから何をやつたつて中途半端なのだが、彼女は自分の才能までを悉く夫の犧牲と心得てゐた。
「そんな本なんて讀んでゐる振りをしないで、これでも見てゐる方が好いでせうよ――だ。」
 細君は、やをら立ちあがるとデスクの抽出しから二三通の封書を取り出して彼の上に落した。「流れ御通知」といふ書付ばかりであつた。――一圓五十錢、男袴。三圓、男袷。七圓、女帶。四圓、麻雀……」などと、とても判讀の出來ない態の達者な文字が讀みきれぬ程竝んでゐた。



        三
 或晩細君は、落ち着いた氣分で斯んなことを云つた。
「やあちやんに、あたしはまるで戀してゐる見たいだわ。自分が女であるといふことを、忘れるんだもの。」
「同性愛といふのかね?」
 と隱岐も興味を感じた。
「……堪らない言葉だけれどね。」
 細君はあかくなつた。彌生は、廊下を隔てた浴室にゐた。細君は、わざと廊下の燈りを消しに行つて、誰もゐやしないから平氣よ。影を見せてね――などと彌生にさゝやき、硝子戸に映る姿に見惚れてゐた。
「以前には隨分聞いた言葉ぢやないか、この頃は別の言葉になつてゐるかも知れないが。學生時分に經驗があるかね?」
 ――隱岐は、それは自分が凡ゆる點で彼女に不滿足ばかりを與へてゐるので、自然と變質的な傾向に走つたのであらう――と考へ、殊に田舍に移つてからの自分をいろいろと振り返つて見たりした。
「ほんとうは、あたし畫なんか描きたくはなかつたのよ。だましちやつたのさ。」
「……愉快だね。」
「いつまで見てゐても飽きないわ。それよりも、このごろぢや、嫉妬を覺えて、苦しくなつたりするわ。彼女の結婚を考へると、凝つとしてゐられなくなつたりするのさ。……だつて、まあ、あの子の、體の綺麗さ加滅[#「加滅」はママ]と云つたら、それあもう、何とも彼とも、云ひやうもない――ふるひつかずには居られないほどの……」
「ふるひついたことは、あるか?」
「あら、眼をまるくしてら……でも、あたし、いろいろ考へて、いつかのお前のことを無理もないと思つてるわ。」
「……馬鹿だつた!」
「あたしだつて、それより激しい氣持になることがあるんだもの。」
(以下の會話數行省略する。)
「顏はそれほどの美人といふほどのこともないけど、ヘツプバアン見たいな口
前へ 次へ
全8ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング