りで呟いで奇妙な笑ひを浮べてゐた。
「その外套、お前には餘つ程大きいね。エスキモー見たいだぞ。」
 ひとりごとなど呟いで笑つてゐる彌生を、隱岐は難じてやつた。
「左うよ。だから、何うせ他所行きになんかなりつこないさ。――その代り、凡そ窮屈ぢやなくつてよ、中で泳いでゐる見たいよ。」
「さすがに、それぢや、暑過ぎるだらう。」
「ほんの少し……」
 と彌生は、薄ら笑ひのまゝ、何やら思ひ切つたやうに輕く默頭いて、立ちどまつた。そして、ぐるりとあたりを見まはした。
 球蹴りをしてゐる若者達の姿が、遙かの後ろに、鳥のやうに小さく見えたゞけだつた。折々遊びに來て、彌生と文學の話などを取り交す青年もゐた。――見つかると困るから、遠くを廻らう――といふので、はじめから二人は彼等を避けて、街をまはつてずつと西寄りの濱邊に降りたのである。
 彌生は稍しばらく笑ひを堪へるかのやうに、襟の中に顎を埋めながら、凝つと隱岐の顏を見据えてゐたが、やがて、
「でも、大したことはないわよ。――だつて、斯うなんだもの――」
 と云ふがいなや、非常な速やかさで、ぱつと、一瞬間、それを脱ぐ眞似をした。隱岐は、思はず、アツ! と云つた。たしか一糸も纏つてはゐなかつた。
「さつきから、そのまんまだつたのかえ、驚いたな。」
「えゝ――。靴下だけで。」
 彌生は何故か急に濟してゐた。「だから、東京へ行くのかなどゝ聞かれると、變な氣がしちやつたのよ。でも、あたし、よくよく困つたことに慣れちやつたな。」
 と、そこはかとなく憂愁氣な顏色に變つてゐた。
「心の半分まではらはらしながら、このまんま、何處までゞも行つて見たいやうな氣がするのよ。」
「くだらんぞ。」
 と隱岐は唸つたが、あとから/\矢つぎばやに胸先を襲つて來る稻妻のやうなものに射られて震えが込みあげて來るのであつた。
「あら! あんなところから、人が來るわよ。氣をつけてよ。」
 氣をつけることもないのに、彌生は耳の根まであかくして、彼の腕をとつた。極く稀に、散歩の人々に出遇つた。
「駄目だわね。――引つ返さうかしら?」
 彌生は、はぢめのうちの元氣はすつかりなくなつて、弱音を吐き出した。
「ともかく川尻のちかくまで行つて見ようよ。――それとも、いつそ、思ひきつて、そこからバスに乘つて、小八幡《こやはた》か酒匂《さかわ》の方まで行つて見ようか、松濤園の下あたりま
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