でしょう」
「皆な来ると言って寄こした」
 また父の事が口に出そうになった。
「躑躅《つつじ》がよく咲いてる」と私は言った。
「お前でも花などに気がつくことがあるの」
「そりゃ、ありますとも」と私は笑った。母も笑った。
「ただでさえ狭いのにこれ[#「これ」に傍点]邪魔でしようがない。まさか棄てるわけにもゆかず」
 母は押入の隅に嵩張《かさば》っている三尺ほども高さのある地球儀の箱を指差した。――私は、ちょっと胸を突かれた思いがして、かろうじて苦笑いを堪《こら》えた。そうして、
「邪魔らしいですね」と慌《あわ》てて言った。なぜなら私はこの間その地球儀を思いだして一つの短篇を書きかけたからだった。
 それはこんな風にきわめて感傷的に書きだした。――『祖父は泉水の隅の灯籠《とうろう》に灯を入れてくるとふたたび自分独りの黒く塗った膳の前に胡坐《あぐら》をかいて独酌《どくしゃく》を続けた。同じ部屋の丸い窓の下で、虫の穴がところどころにあいている机に向って彼は母からナショナル読本を習っていた。
「シイゼエボオイ・エンドゼエガアル」と。母は静かに朗読した。竹筒の置ランプが母の横顔を赤く照らした。

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