その方がいいとも、帰らなくったっていいや、……帰るな、帰るなだ」と常規を脱した妙な声で口走ったが、ちょうど『お伽噺』の事を思いだしたところだったので、突然テレ臭くなって慌《あわ》てて母の傍を離れた。
翌日の午《ひる》には、遠い親類の人たちまで皆な集った。
「せめて純一がもう少し家のことを……」
「そういうことなら親父でも何でも遣《や》りこめるぐらいな気概がなければ……」
「ほんとにカゲ弁慶《べんけい》で――そのくせこのごろはお酒を飲むとむちゃなことを喋《しゃべ》ってかえって怒らせてしまうんですよ」
「酒! けしからん。やっぱり系統かしら」
叔父と母とがそんなことを言っているのを私は襖越《ふすまご》しで従兄妹《いとこ》たちと陽気な話をしていながら耳にした。私のことを話しているので――。
「この間もひどく酔って……外国へ行ってしまうなんて言いだして……」
「純一が! ばかな」
「むろん、あの臆病《おくびょう》にそんなことができるはずはありませんがね」と母は笑った。
「気の小さいところだけは親父と違うんだね」
客が皆な席に整うと、私は父の代りとして末席に坐らせられた。坐っただけでもう顔が赤くなった気がした。
「今日はわざわざ御遠路のところをお運びくださいまして……(ええと?)じつは……その誠に恐縮《きょうしゅく》なことで……そのじつは父が四五日前から止むを得ない自分自身(オッといけねエ)……ええ、止むを得ない自分用で、じつはその関西の方へ出かけまして、今日は帰るはずなのでございますがまだ……それで私が……(チョッ、弱ったな)……どうぞ御ゆるり……」
私はこれだけの挨拶をした。括弧《かっこ》の中は胸での呟《つぶや》き言だった。ちゃんと母から教わった挨拶でもっと長く喋らなければならなかったのだが、これだけ言うのに三つも四つもペコペコとお辞儀ばかりしてごまかしてしまった。そしてこの挨拶のしどろもどろを取りなおすつもりで、胸を張ってできるだけもっともらしい顔つきをして端坐《たんざ》した。だが脇の下にはほんとうに汗が滲《にじ》んでいた。
「これが本家の長男の純一です」
父方の叔父が、まだ私の知らない新しい親類の人に私を紹介した。そして私の喋り足りないところを叔父が代って述べたてた。
だいぶ酒が廻ってきて、祖父の話が皆なの口に盛んにのぼっていた時、私は隣に坐っている叔父
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