の慣例を持っているのだが、去年の時は所持金が皆無で当惑の余り、七郎丸から貰《もら》った新しい祝着《マイワイ》に、貴女の国にては近頃|物数奇《ものずき》者間にてわれらが国の労働着がハッピイ・コートとやら称ばれて用いられている由なれど、これこそわれらが海辺の村の誠のハッピイ・ガウンなれば、試みに着用して茶友達の評を仰いで見給え! などと勿体をつけて贈り、絶大な感謝を享《う》けたことがある。)
そんな風にしていい争っていたが、七郎丸は不意に手を離してじっと息を殺したかと思うと、片手の平を耳の傍らに翳《かざ》して、
「聞えるだろう!」
と力を籠《こ》めて囁《ささや》いた。
外は隈《くま》なく冴《さ》え渡った月夜である。で、僕は和やかな波の合間に耳を澄して見ると、遥《はる》かの彼方《かなた》からカチン、カチンと頻《しき》りに響いている鑿《のみ》の音が伝って来る。僕は吸い込まれるようにその音の方に耳をそばだてた。
あたりの漁家は既にもう一様に燈火を消して眠りに就《つ》いたらしい中で、浜辺近くの松林の傍らにある船大工の工房だけが夜業に励んでいるさまが窺《うかが》われた。その工房は屋根だけで周囲
前へ
次へ
全30ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング