あった。
「七郎丸!」
と僕も、理由も知らずに胸が一杯になって叫んだ。「誰がお前のような善良な人間をそんなに悲しませたんだ。事情は一切聞かないで好い。悪人の名前だけをいえ。」
「違う違う。」
彼は、涙をのんで辛うじていい放った。「七郎丸の旗誌《はたじるし》を再び舟に立てることが出来る幸運に俺は廻《めぐ》り合ったんだ。」
――魚場の納屋《なや》の屋根に魚見櫓《うおみやぐら》というものがある。舟を持たない七郎丸は久しい前からこの展望台で観測係を務めていた。稀《まれ》には舟を借りて沖へ出かけることもあったが、舟主との間が面白くないので、彼は大方この展望台に籠《こも》って、天候の次第に依って幾通りかの旗をかかげたり、魚群の到来を村人に知らすサイレンのスウィッチを握ったりして、遣瀬《やるせ》なく腕を扼《やく》していた。僕のCは、実際には「落下の法則」を実験していたわけではなく、この観測室に来ると七郎丸の仕事の手伝いをしていたのであるが、例えば望遠鏡で見張りしている彼が、
「来たぞ、合図だ!」
と叫ぶと、僕はサイレンのスウィッチを下す、村人が涌《わ》き立つ、海上には忽ち目醒《めざま》しい活劇が
前へ
次へ
全30ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング