は娘をそっと傍《かたわ》らに退けて僕に、コップの酒盃をさすのであった。
僕は、決して道楽でやろうというのではなかったから、釣りの話になるとあくまでも七郎丸の忠実な弟子だった。――今日は、あんな理由で部屋を飛び出したのであるが、常々七郎丸は仕事に行く時にはこれを着けて行くと好いということを主張していたので、僕もさっきこの身装《みなり》のテレ臭さの余り娘にああいってしまったのではあったが、勿論《もちろん》、今直ぐ舟を出すからと聞けばこのまま出発するに違いないのである。
「僕はたった今君を探すために君の部屋に行ったところが……」
七郎丸は何か息苦しそうに喉《のど》を詰らせて熱い手で僕の手を握った。「ああ、君に遇《あ》ってしまったらどう話をはじめて好いやら解らなくなってしまった。」
ふと見ると彼の真ん丸に視張《みは》って僕の顔を眼《ま》ばたきもしないで見詰めている眼眥《めじり》から、忽《たちま》ちコロコロと球のような涙が滾《まろ》び出て、と突然彼はワッと声を挙げて僕を抱き締めた。僕は鍾馗《しょうき》につかまった小鬼のように吃驚《びっく》りした。七郎丸はそのままオイオイと声を挙げて泣くので
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