学者の弟子である。Cは、いつも悲しそうな顔ばかりしていた。なぜなら彼がいかほど熱心に多くの球を投げ出して、その落下状態を研究したところで、決してあの[#「あの」に傍点]科学者の発見に依《よ》る「落下の法則」以上の定理を見出し得ないばかりでなく、ただ徒《いたず》らに落した球を拾っては再び塔の上に昇り、また落し、注視し、また拾い――を繰り返すに過ぎなかったから。
 或《ある》日この三人が、諸国遍歴の旅に出かけようという相談をした。どこへ行ったところでどうせこれ[#「これ」に傍点]以上のことはないというあきらめを持っている憂鬱なCは、厭々《いやいや》であったが、持物といっては金属性の球だけをポケットにして、饒舌《おしゃべり》なAや気難《きむずか》し屋なBと共々打ち連れて、先ず都を指《さ》して旅にのぼった。いうまでもなくこの三人の者は常々不和の仲で、途上で出遇《であ》っても碌々《ろくろく》挨拶《あいさつ》も交《かわ》したことのないほどの間柄なのである。
 ………………
 これだけの緒口《いとぐち》を考えつくと僕は、急に愉快になって寝台から飛び降りた。僕の頭は梅雨期を過ぎて初夏の陽《ひ》が輝いたかのように爽々《すがすが》しくなった。
 僕は名状しがたい嬉《うれ》しさに雀躍《こおど》りしながら、壁飾りに掛けてあるアメリカ・インデアンの鳥の羽根のついた冠りを執《と》り、インデアン・ガウンを羽織って(全くそんなことでもしなければ居られなかった、一体僕は馬鹿で、悲喜の現れが露骨で、例えばこの頃でも、おそらく生活には要がないにもかかわらずややともすると幾何や代数の解題を試みるのであるが、極《ご》く稀《まれ》に自力で問題が解ける場合に出遇《であ》うと、狂喜のあまり不思議な音声を発したりするのである。その声があまりに突拍子もなく大きくて、夜中などであると、わが家の熟睡にある同人連は夥《おびただ》しい迷惑を蒙《こうむ》り、翌朝それがために寝坊を余儀なくされ、そして僕は朝飯が待ち切れずに停車場の待合室へ赴《おもむ》いて汽車売の弁当を喰《た》べなければならなくなったりする。……で、今も、思わず歓呼の声を挙げかかったのであったが、咄嗟《とっさ》の間にそれに気づいて、辛《かろ》うじて口を緘《かん》したわけである。が、どうして、幾日も幾日もの鬱屈《うっくつ》の床で、光明に眼醒《めざ》めてじっとしていら
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