の慣例を持っているのだが、去年の時は所持金が皆無で当惑の余り、七郎丸から貰《もら》った新しい祝着《マイワイ》に、貴女の国にては近頃|物数奇《ものずき》者間にてわれらが国の労働着がハッピイ・コートとやら称ばれて用いられている由なれど、これこそわれらが海辺の村の誠のハッピイ・ガウンなれば、試みに着用して茶友達の評を仰いで見給え! などと勿体をつけて贈り、絶大な感謝を享《う》けたことがある。)
 そんな風にしていい争っていたが、七郎丸は不意に手を離してじっと息を殺したかと思うと、片手の平を耳の傍らに翳《かざ》して、
「聞えるだろう!」
と力を籠《こ》めて囁《ささや》いた。
 外は隈《くま》なく冴《さ》え渡った月夜である。で、僕は和やかな波の合間に耳を澄して見ると、遥《はる》かの彼方《かなた》からカチン、カチンと頻《しき》りに響いている鑿《のみ》の音が伝って来る。僕は吸い込まれるようにその音の方に耳をそばだてた。
 あたりの漁家は既にもう一様に燈火を消して眠りに就《つ》いたらしい中で、浜辺近くの松林の傍らにある船大工の工房だけが夜業に励んでいるさまが窺《うかが》われた。その工房は屋根だけで周囲の囲いがなかったから、その上仕事場の前の広場に焚火《たきび》があがっているので、働いている人たちの姿がくっきりとシルエットになって浮び出ている。
「もうやっているのか?」
 僕は眼を視張って訊《たず》ねた。なんとも名状しがたい爽快な嵐《あらし》が僕の胸のうちには更に新しく火の手を挙げた。
「…………」
 七郎丸は深く点頭《うなず》いてから、重々しい口調で説明した。
「丸源はね、先々代の七郎丸の友達でね――半ば義侠的にこの仕事を完成してやるという意気込みなんだよ。この月のあるうちに大方を仕上げてしまうと、今日力んでいたが、まさしく取りかかったじゃないか。あそこには十五人ばかりの弟子が働いているけれど、八人までは丸源の伜《せがれ》なんだぜ。そろいもそろって屈強な舟大工さ。そらそらあの焚火の傍で何か叫んでいるらしい赤鬼のような老人が指揮者の丸源だよ。……どうだい。」
 焚火の炎が、月明の真中にともされた大提燈《おおぢょうちん》のように輝いて、働いている人たちの姿が、提燈の画になって見える。
「惜しい哉《かな》、声がとどかないな。」
「それは無理だ。」
「それが一層|輝々《こうごう》しい眺めと
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