ない、それに自分の家の者は、新時代の教養に目醒めてゐて、このボンクラ学校の変態教育法などに就いては不満を抱いてゐるし、寧ろ転校の意志を持つてゐる位である……。
「一日も早く恋人を見つけた者は、それだけ人生の幸福を余分に吸ひとつた生活の勝利者である――僕が読んだ小説の中に斯んなことが書いてあつたが、僕は身をもつてこの言葉を尊敬してゐる。」
 塚越からそんな言葉を聞かされてゐたので、学校の控室はその時猛々しく涌きたつてゐたが、私は別段驚きもしなかつた。そして皆なが、彼を最も汚らはしい罪人であるかのやうに騒ぎたてゝゐるのも、塚越の影響で私は寧ろ不自然なことのやうに思はれるやうになつてゐた。
 私は、その晩の一挿話だけを今は最も明瞭に覚えてゐるだけなのである。――私は、その晩塚越を訪れる為に道を急いで行くと、街角で、これも私を訪れるといふ塚越に出遇つた。
「海辺へ行かう。」と彼が云つた。
 砂浜を歩きながら彼は私の肩に腕をかけて朗らかな声で云つた。
「君、驚いたか!」
「驚かなかつた。」
「悪口がさかんだらう。」
「とても、物凄い!」
「愉快だな!」と彼は胸を拡げて空を仰いだ。「その手紙といふ
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