無論詳しいことは忘れてしまつたが、別の日に塚越が私を訪れて来て、
「此間は有りがたう。」
と礼を云ひ、母が寄《よこ》したのだといふチユーリツプの鉢を私の机の上に置いた。春時分のことだつたに違ひない。
「何うして、そんなことが解つたの?」
「ドラ猫の奴が、皆な僕に話したよ。」
「えツ、伊達が※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
伊達の仇名などを平気で云へる者なんて一人もなかつたのに、塚越は至極自然な調子で、
「僕はあんなドラ猫なんてさつぱり怖しくも何ともないんだが、何も知らない君が、そんな時に、そんな仲裁をして呉れたといふことが、とても嬉しかつたんだよ。君、友達になつて呉れないか。」と云つた。
「…………」
塚越と交際する者などは誰一人無い筈なのに、塚越の云ふところに依ると、伊達は此頃毎晩のやうに塚越の家に遊びに来る――といふことだつた。
「伊達なんて、学校ぢやあんなに偉さうにしてゐるけれど僕の家に来ると恰度猫みたいに意久地がないんだよ。それは、僕に、姉が居るからなのさ。彼奴は僕の姉に参つてゐやがつてね、とても醜態だぜ、君、一度見に来て見ないか。そのことだけは誰にも云はないでゐて呉れと僕は伊達に頼まれてゐるんだが、君には何も彼も云つてしまはなければ僕の気が済まないから……」
「伊達ツて、変なニセ豪傑だな!」
「君は、未だほんとうの子供なんだね。」
と塚越は、セヽラ嗤つた。「吾々が君、フエミニストに傾いて行くことは当然の本能ぢやないか。僕は学校の豪傑連なんて毛程も気にしてはゐない、――僕は何うしても恋人が欲しいのだ。恋人さへ見つかれば、死んでも好いと思つてゐる。」
その晩塚越は、遅くまで私の部屋に居て、私の決して知らぬ――甘く、艶めかしい、花やかな世界の話を告げた。
学校では、塚越は何時も運動場の片隅に蹲つて、物憂気な姿であつた。そして私が通りかゝると、何となく臆病さうな眼をしてさしまねいたが、私は余り近寄らなかつた。
二
学期の終りの頃であつた。
塚越享、右の者不都合の廉に依り退学を命ず――斯んな掲示が出た。
噂に依ると、塚越は運動場に艶書を落したのを生徒監に拾はれたのが、この事の起りであるさうだつた。
いよ/\、では塚越は恋人が出来たのだな――と私は思ひ、秘かに彼のために祝福した。何故なら彼は、常々、恋人さへ出来れば何んな犠牲も厭は
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