私は、五体までがしびれるやうな冷たさともつかぬ奇体な戦きに襲はれた、それが、その婦人であることに気づくと――。大分に注がれた酒が、一塊の氷のやうに固まつたかと思ふと、たちまち、また箭と化して、脳天から爪先を目がけて発止と駈け抜け、矢継ばやに颯々と射貫れて、何だか自分の体が、底のない一個の硝子の円筒のやうなものに変つてしまつたやうに思はれた。
 その時扉の外で、私の名前を呼んで、
「居るかね、居るかね――」
 と云ひながら近づいて来る声がした。――私は、返事も出来なかつた。おそらく餠でも喉につかへでもしたやうに苦悶気の眼を白黒させたことだらう! と、追想すると、恥のために死にたくもなる位ゐであるが、その時は、総身がぶる/\と震へるばかりで、それを更にあたりの者に悟られまいとする努力とがこんがらがつて、立往生の態であつた。
 扉があいて、ぱツと光りが射し込むと同時に離されたから好かつたものゝ、素知らぬ風を装つて額に掌をあてゝ見ると、冷汗が玉となつてゐた。
「やあ、居るね。――大した騒ぎぢやないか……」
 岡であつた。岡は真赤な顔をして私の傍らに立つと、
「君、実に済まんことをしてしまつたん
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