、口惜しいツ!」
 と叫んで、ワツと泣き伏した。そして、「倉の奴は、自分が、文字といふものが何一つ書けないことを飽くまでも秘密にして、俺が書いた手紙を、そつと手写して、事もあらうにそれをそのまゝ、お春に渡して、加之に俺のことを、さん/″\にこき降した。」
 と身を震はせて泣きながら、鶴井は誰にともなく大喚きに訴へた。鶴井は、もう、たしか四十歳であつたか? と思ふ。
「鶴井――」
 と和尚が呼んだ。――「その手紙は倉に頼まれて俺が写してやつたんだよ。いきさつを詳しく聞きたかつたら、はちす[#「はちす」に傍点]のトンネルを俺の背丈けに明けたならばね……」
 こつちでは、私の作品の「愛読者」が、
「あの、妹さんでいらつしやるんですか?」
 と私の妻に訊ねてゐた。妻が、それに答へそびれて、どぎまぎとしてゐる様子だつたから私は代つて、云はうとした時、不図食膳の蔭にある私の手を、徐ろに力を加へながら握る者があつた。
 妻かしら? と私は思つたので、見ると、妻は和尚を隔てた隣りで、熱さうに両掌で頬をおさへてゐた。
 私は、ドキツとして慌てゝ手を引かうとすると、力一杯手首をつかまれてしまつてゐた。――
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