合戦は、黒雲をはらんでじり/\と開始された。敵も左うであつたが、私も今度こそはじつくりと下肚に力をこめて、爬行的におして行く駒が目的の場所に息を休めても即座に指先を離さぬ留意振りで、両眼を皿と擬した。私は水の底を潜ると同様に、一つの駒が行手に収つて、漸く指先を離すまで、真実呼吸を断つた。そして深い吐息を衝きながら凝つと敵の戦略を見守つた。凡そ三十秒乃至は一分毎に、恰も空気枕の栓を抜いた刹那の如き放出音が、敵と味方の堅い唇から、交互に盤面にあたつてゐた。――余儀なく互ひの軍兵は、いつか点々と隊をそろへて盤の中央に斜めとなつて二列に対陣して、進む道を失つた。
「お前の番だよ。」
憤つとして私は、せきたてた。守吉は、隅の駒を震へる指先きで徐ろに退けたが、やがて、
「しめたツ!」
と力一杯叫ぶや、突然立あがつて、夢中で架空の陣太鼓を打つた。
「ど、どどん、ど、どどん、どどんどどんどどん!」
狂へるが如き凱歌であつた。「二万八千円、二万八千円、わあツ!……」
私には未だはつきりと意味が解らないので、ともかくその胸を突いて畏る畏る一歩を踏み出すと、すつかり落つき払つてしまつた敵の将軍は、太
前へ
次へ
全22ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング