ンと打つては慌てて掻き消してゐたので、あれは正しく打ち入りの山鹿流とは類を異にした方法に違ひなかつた。だが、それは、突喊の軍勢の呼吸に、ぴつたりと合つてゐたのが、考へれば考へるほど私は感心して来て、間もなく泥酔してしまつた。――後架に立つた時、何気なく奥の一隅を注意すると、いつの間にか裏口からでも戻つてきたとみえる守吉が、あふむけに寝そべつて、凝つと天井を眺めてゐたが、ふと人の気合ひを感ずると、慌てて、薄暗い壁ぎはへ転げ寄つた。

     二

 崖下の花屋の二階を借りて自炊をしてゐる進藤の部屋で、私が進藤の小説を読んでゐると、薄の繁つてゐる窓先から、
「小父さん、何してんだい、勉強かい?」
 見ると、守吉が崖の端にしやがんで、私の机を見降してゐた。窓と崖とは凡そ同じ高さで、際どく接近してゐるのだ。
「芝居がはじまるのか?」
 守吉は、苦くかぶりをふつた。
「やらうか、小父さん?」
 彼は、私の傍らで将棋盤に向ひ合つてゐる枝原と進藤を認めて、指先で駒を打つ真似を示した。ハサミ将棋の謂である。私は、あたり前の手合せは勿論、ハサミ将棋も知らなかつたのだが、最近守吉に依つて手ほどきを享けたのだ。
 枝原達の勝負が終るがいなや、厚紙の盤をもう守吉は有無なく私の方に向けるので、あまりすすまないのであるが私も駒を並べずにはをられなかつた。それに就いて私は既に守吉に三千円の負債を負つてゐるので、いや! といへば卑怯になるのだ。守吉の申出で、一回の勝負を私達は五銭と定めてゐたのだが、実際のとりひきはその単価で行ふとしても、せめて口だけでは景気好く零を二つ加へた勘定で話し合はうではないか――と、それも彼の発案で、此方も賛成してゐたのだ。そして、私の負債が一万円(実は一円)となつたら支払ひをすることを約束してゐたのだ。
 その時は私も、たはむれごころで、その程度の負債ならば即座に支払つて守吉の笑顔を見るのも一興だ、一万円の負債を払ふなどは面白いと思つたのであるがそれからと云ふもの彼は往来などで出遇つても、大きな声で、
「何しろ俺は、この小父さんに金の貸があるんだからな!」とか「例のものは何時払つて呉れるの、あのまゝで止めるんなら、あれだけでも何とかして貰ひ度いな。」などと真顔になつて吹聴するので、少々私は煩くもなつてゐたのだ。
「今日は、千円でやらう。」
 面倒だから、三回勝つてしま
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