太鼓を買つたことがあるが、それは力を入れて打てば破れるほどのおもちやであるのに、守吉の太鼓はあまり調子よく鳴り渡るので不思議に思つて遠くから注意して見ると、何処からあんな本物を探して来たのだらう――と、その時は思つたのである。骨董品のやうな重味を持つた立派やかな太鼓で、胴には朱色の房が結ばれ、皮には金泥に漆黒の巴印の紋章が浮んでゐた。
私は、凹地づたひに崖下に降りて石垣と石垣にはさまれた露地を駆け抜けようとすると、角の物置の蔭では、吉良方の一隊が縫込みの稽古着に袴の股立ちをとつて、互ひに清水一角に扮するのを争つてゐる最中だつた。
不図、太鼓の音が止絶れたので私が物蔭から振り返つて見ると、守吉が崖の上から上半身を乗り出して、狼のやうな形相で呶鳴つた。
「やいやい、何を愚図々々してやんだい、早くしねえと俺あ帰つちやふぞ。」
「守ちやん、あたいにも一度で好いから大石に扮《な》らせて呉れよ。」
崖下から呼び返す者があつた。守吉は驚いて小脇の太鼓を両腕に抱へ直した。
「馬鹿野郎――家へ聞えたら大変なんだぞ、だから俺はとても苦労しながら叩いてゐるんぢやねえか、いつまでも遊んぢやゐられねえんだよ。」
守吉の太鼓は余程の権威を持つてゐると見えて、彼が半狂乱の態でそんなに叫ぶと、吉良勢も陣容をたて直した、再度の討入りを互ひに合図し合つてゐた。
鉄兜の新しい戦争ごつこが始まつたので吻つとしてゐたところが、やはり彼等にはあの旧劇の方が変化の興味が多いと見えて、いつの間にかもとへ戻つてしまつた。当分は悩みが絶えぬであらうといふ意味のことを滾しながら亭主が、今日守吉を捕へてからのことを話し出した時、私が待つてゐたところの進藤一作と坂口按吾と枝原源太郎達が到着したので、私達は私達だけで文学の話を始めた。それにしても私の耳の底には、守吉の打つ太鼓の音が、はつきりと残つてゐた。家に悟られぬための技巧の苦心があつたのかと知ると、はじめ私は単に彼が腕を揮つて、あんな風に大きく振りあげた撥を宙に構へて、容易に太鼓の面に降さうとはせず深い見得を切つてゐる姿を、得意の陶酔状態だとばかりに眺めたのが、此方こそあまりに呑気なわけ知らずであつたと思はれた、考へて見ればあの守吉の太鼓の打ち方は、漸く撥を降してドンと一つ大きく響かせたかと思ふと忽ち煙りのやうにどろどろと余韻を曳かせて、やがてまた思ひ切つてド
前へ
次へ
全11ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング