けてゐる蝉の細い思ひ入れで現し、悪童の接近を意識した蝉は、未だ/\大丈夫だといふ風に歌ひながら静かに梢を回り、いよ/\袋が近付いた瞬間に、(どつこい、さうはゆかない、あばよ。)とばかりに、尿を放つて空中に舞ひ上る――ところでこの演技を終らす考へだつたが、――そんなことをしないで好かつたと思つて秘かに胸を撫で降した。

 周子は、一日も早く郊外に家を探さなければならないと思つた。郊外に家を定めたら、夫は夫、自分は自分で、常々憧れてゐる文化的生活を営まうなどゝ思つた。
「二階があなたの部屋で、階下《した》が完全に私の部屋ですよ。私が何んな風に飾らうと口を出さないで下さい、あなたの迷惑にさへならなければいゝでせう。」
「それも好いだらう。」
 滝野は、二日酔の重い頭で物憂気に答へた。夕陽が部屋の真中まで射し込んでゐた。滝野は上向けに寝転んで天井を眺め、細君は伏向いて編物をしてゐた。
「郊外の家でなら少しは、遅くまでお酒を飲んでも関ひませんわ。」
「お酒はもう止さうかと思つてゐるんだ。」
 細君は嬉し気に、だが眼を丸くして、
「そして、どうするの?」と訊ねた。
「ラツパを始めようかと思つてゐる
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