居をやりたがりやアがる。」
「僕がね、僕がね……」純吉は、上ツ調子ではあるが、重苦しく妙に吃つて「その僕がね、実は、もう一ト月も前から書きかけて、そして行き悩んでゐる小説といふのが――だ。つまり、その、例の、小説に書くことがなくて閉口してゐることを取材にした小説なんだ。……斯んなことは毛頭云ひたくない、君がさつきからあまり親切ごかしに責めたてるので、恥を忘れて口外するんだ。」
 純吉の様子は案外芝居でもないらしく、そつと面を反らせてゐた。さうなると相手の心を静かに汲み取り、そして自分も薄ら甘い何かに咽び入る性質の川瀬は、横を向いて困つた笑ひを浮べた。
「親父のことで、感傷的になることは仕方がないが、その感傷に浸つて、強く回想して、更に書くことも薬だと思ふ。」父を喪つて以来稍ともすれば子供ツぽい感情の脆さを現したがる純吉に、川瀬はさうとでも云ふより他はなかつた。
「いつか僕は、君に、もうあれはお終ひだ、とはつきり云つた。(不孝の子)を書いた時には、全くさういふつもりだつた。既に世になき者の幻を追ふたりすることは、此頃の僕の評価にてらすと避けなければならないのだ。」
「さういふ評価でもつく
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