らないとか何とか云つては、異様な憤慨を洩らすのが、これまた文学青年の……」
「君は一口毎に文学青年、文学青年と云つては、その言葉の中に怪し気な軽蔑の意を含ませるのが好きだが、さういふ都会人はたしかに今でもゐるんだね。その上僕は、君のその笑ひが気に喰はない、何がそんなに可笑しいんだ、可笑しいことなんてそんなにある筈はない、失敬な!」と純吉は答へた。
「アツハツハ……そいつア参つたね。」
川瀬はさう云つて笑つたが、別段参つた様子もなく、アツハツハと笑つて、後ろにそつて、折目の正しい白いズボンの片方の脚でポンと空を蹴つた。
「馬鹿だな、参るも何もありアしないぢやないか、さう浮々と参つたり参らせられたりして堪るものか。」と純吉は云つて、自分に自分が擽られた気がして思はず退儀な苦笑を洩した。」
それだけ周子は読んで、退屈になつて止めようかと思つたが、傍で何も知らずに口を空けて眠つてゐる滝野の姿を見ると、いわれのない反感を覚えて、二三枚飛ばして読む気になつた。
「――「ところがね、川瀬!」と純吉は一つ大袈裟な息をいれて「僕の云ふことを一寸真面目になつて聞いて呉れ。」と云つた。
「相変らず拙い芝居をやりたがりやアがる。」
「僕がね、僕がね……」純吉は、上ツ調子ではあるが、重苦しく妙に吃つて「その僕がね、実は、もう一ト月も前から書きかけて、そして行き悩んでゐる小説といふのが――だ。つまり、その、例の、小説に書くことがなくて閉口してゐることを取材にした小説なんだ。……斯んなことは毛頭云ひたくない、君がさつきからあまり親切ごかしに責めたてるので、恥を忘れて口外するんだ。」
純吉の様子は案外芝居でもないらしく、そつと面を反らせてゐた。さうなると相手の心を静かに汲み取り、そして自分も薄ら甘い何かに咽び入る性質の川瀬は、横を向いて困つた笑ひを浮べた。
「親父のことで、感傷的になることは仕方がないが、その感傷に浸つて、強く回想して、更に書くことも薬だと思ふ。」父を喪つて以来稍ともすれば子供ツぽい感情の脆さを現したがる純吉に、川瀬はさうとでも云ふより他はなかつた。
「いつか僕は、君に、もうあれはお終ひだ、とはつきり云つた。(不孝の子)を書いた時には、全くさういふつもりだつた。既に世になき者の幻を追ふたりすることは、此頃の僕の評価にてらすと避けなければならないのだ。」
「さういふ評価でもつくらずには居られないだらう。」
「そんな同情をされても困るが――」
「好い加減にしろ、愚痴は止して貰はう。」
「親父のことはもうお終ひだと云ひ、そしてそんな評価とかなどを拵へたりしながら――彼奴[#「彼奴」に傍点]は何といふ虫の好い小僧だらう。」純吉はそんなに呟いで、変に無気になつて苦い唾を吐いた。「彼奴[#「彼奴」に傍点]といふのはこの俺のことだ。それにも関はらず、いけ図々しい甘ツたるさを振りまいて、彼奴はまた親父のことを書きやアがつた、つい此間! 然も長たらしく! 恥知らず奴! 文学とは何だ、小説もないもんだ。自分で自分のことを(不孝な子)が聞いてあきれる――三千尺の地下に静かに眠つてゐる父へ、またしても呪はれたる愚かな双手を差し延べるとは何事だ。」さう思つて胸を掻き※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]る思ひにされた時、ふつと彼は、
(それにしても、あの騒々しい親父が、斯うも急にぴつたりと鳴りを静めたかと思ふと、何といふアツケないことだらう、恰で花火のやうぢやないか。)そんなキヨトンとした心が白く浮んで、危ふく失笑するところだつた。
「おい/\。」と川瀬が彼の肩を叩いた。「小説が書けないで困ることを取材にして書きかけた小説ツて、どんなことなんだ、悄気たりしないで書き続けたらいゝぢやないか?」
おや/\、俺は今川瀬と、何の話をしてゐたのだつたかな――純吉は、夢から醒めた気がした。(あゝ、さうだつた、俺はさつき好い加減な出たら目を川瀬に話してゐたんだ。)
「うむ、書き続ける気だ。」純吉は、意味あり気にうなつた。
実際彼が、さつき川瀬に、小説が書けないで困つたことを材料にした小説を、もう一ト月も前から書きかけてゐるなどゝ云つたのは、嘘だつた。それは悉く彼の、虚飾なのだつた。そんなことでも云へば、自分が以何にも思慮深く、そして執筆に相当の苦心をする如く思はれるだらう、そしたらいくらか重々しく見られるだらう――それ程低い程度の純吉だつた。だから彼は、友達から、
「君は、書くことが速いか? 遅いか?」などゝ訊ねられると、
「斯う遅筆ぢや困つたものだ。」と答へるのが常だつた。彼は、四五日前父に関する思ひ出を脱稿してゐた。想像力の鈍い彼には、それを書いたら、すつかり頭がから[#「から」に傍点]で、更に小説などゝは思ひも及ばなかつた。
「これから僕は如何《どう》したら
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